2017年06月26日

「まちなかだからこそ創りたい!」 “たもんじ交流農園” 〜ふれあう つながる まちづくり〜


「江戸東京野菜 寺島ナスセミナー」の3部は、“たもんじ交流農園” の創設について寺島・玉ノ井まちづくり協議会の牛久光次事務局長から、報告された。

これまで、多角的なまちづくり活動を展開してきた、寺島・玉ノ井まちづくり協議会については、振り返りとして2部でご紹介したが、




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2015年には、東京都産業労働局が実施した、「食と観光」をテーマにした、第11回 東京商店街グランプリに応募、グランプリは逃したものの、優秀賞を受賞している。

都内に数ある商店街の中でも、江戸東京野菜の「寺島なす」を使った取り組みが、評価されたことは、普及に携わる一人として喜ばしい限りだ。





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牛久事務局長は、引き続き現在計画が進行しているのが、“たもんじ交流農園” の創設で、地権者の多聞寺
、地域の皆さんに喜んでいただけるならと、承諾をいただいていることから、

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食育、環境、福祉、防災、商店街の活性化、地域連携など、団体、個人、行政が連携する社会的要請から、墨田区の支援事業に乗せようと、「すみだの夢応援助成事業」に応募したという。

牛久事務局長からは、これからも江戸東京野菜の指導につて協力要請があった。



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最後に、東向島駅前商店街振興組合の元会長坂本武彦さんがご挨拶をして、〆られた。

追録


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閉会後の話だが「、たもんじ交流農園」のイラストが、交流がわかりやすいので、何方が描かれたのかを阿部敏さんに伺うと、かえるのトンネルの田村風来門さんを紹介してもらった。

協議会メンバーで、「かえるアート&絵本カフェ」のオーナーで、絵本を書いていて、寺島ナスの絵本を出したいという。

現在、絵本塾出版の尾下千秋社長が日本の伝統野菜のシリーズを進めていて、江戸東京野菜についても、物語が出来つつあり、それに「寺島ナス」も加えたいと伝えると。絵本塾出版の屋上菜園で江戸東京野菜を栽培している事をよく知っていて、

四谷菜園の会に、田村さんが指導する絵本のお弟子さんが、参加しているのだという。
ご縁を感じた瞬間だ。


posted by 大竹道茂 at 00:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 寺島なす、雑司ケ谷なす

2017年06月25日

「江戸東京野菜 寺島ナスセミナー」の開催で、寺島・玉ノ井まちづくり協議会から招かれた。


東向島の皆さんは、かつて寺島と呼ばれていた地域名のついた「寺島ナス」に愛着を持って皆さんで栽培しているが、

このほど、「江戸東京野菜 寺島ナスセミナー」として、改めて「寺島ナス」の復活についての話をしてほしいとの要請を受けて、大雨の予報の中、東向島に伺った。

少し早めに東向島の駅に着いたので、駅前商店街が、東武鉄道の了解を得て、同社が設置した大型のプランターに植えられた寺島ナスを見て回ったが、

今回の企画の主催者・高木新太郎会長と、青果商の阿部敏さんが待っていて案内していただいた。





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駅前のキャラクター「寺島なす之介」の植わった舟形のプランターでもすでに、ナスが実っていた。

各プランターを見て回ったが、坂本せんべいの坂本武彦さんを中心に地元の皆さんの管理もよく、のびのびと生育していた。

寺島ナスの資料も貼ってあった。





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昼食時だったので、「きそば長平」にご案内をいただいた。

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同店の御主人大坪康明さんは、まちづくり協議会で寺島ナスの普及活動が始まった2012年に呼応して、寺島せいろと、寺島御膳のメニュー開発を行っていて、好評をいただいていることは当ブログで紹介している。

勿論、寺島せいろを注文した。
大坪さんは、14時からの講演は聞きに行きますと挨拶をいただいた。




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会場は、東武博物館のセミナールームを借りていて、「江戸東京野菜 寺島ナスセミナー会場」の看板が出ていた。

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当日の配布資料として、寺島ナスまちづくり協議会が発行した資料の他、同日2部で開催される「とうきょう特産食材使用店」登録制度の活用術ガイダンスの資料と、{てら・たま1号}、東京都が発行した「るるぶ23区」が置かれていた。

当日は参加者に配布される、寺島ナスの苗が置かれていた。





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主催者が予定していた方々を始め地域の方々が雨の中を来場していただいた。

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「知れば知るほど楽しくて美味しい江戸東京野菜 ”寺島なす”」
をテーマに、第一寺島小学校で始まった寺島ナスの復活から、
お話をさせていただいた。

@ 四代将軍 徳川家綱の御前栽畑
A 2009年、一寺小130周年記念で復活した寺島ナス

B 2012年 寺島・玉の井まちおこしで始まった寺島ナス栽培
C 都内に普及した江戸東京野菜の取り組み

2部の「とうきょう特産食材使用店」登録制度の活用術ガイダンスは、ここから。

posted by 大竹道茂 at 00:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 寺島なす、雑司ケ谷なす

2017年06月24日

2017年06月23日

「とうきょう特産食材使用店」登録制度活用術ガイダンスが、東向島で開催された。


「とうきょう特産食材使用店」登録制度は、2010年から始まったが、142店まで増加したことから、2012年から冊子が発行され、ネット上でも紹介されていて、店が詳細に紹介されることから参加店も増えていった。

このような中で、江戸東京野菜の寺島ナスでまち興し、地域興しを行っている、「寺島・玉ノ井まちづくり協議会」では、寺島ナスが地域で栽培されるようになっても、

飲食店などの使用店が少ないことから、「とうきょう特産食材使用店」登録制度について、説明を伺い積極的に登録していこうと開催したもの。




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同協議会・高木新太郎会長(写真右) の要請で、東京都産業労働局農林水産部食料安全課の小寺孝治課長と担当の佐藤紀子さんがおとずれた。

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会場の東武鉄道博物館セミナールームには、かつての寺島地区・現在の東向島駅前商店街の皆さんなどが、大雨予報の中で集まられた。

小寺課長は、若いころには東京都農林総合研究センターで、野菜の技術屋として活躍された実績もあることから、寺島ナスの栽培上の注意まで話は広がり、参加者の多くが寺島ナスの栽培をしていることから、参考になったとの声も聞こえた。




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「とうきょうを食べよう」では、地区別以外にも「食材種別から探す」ことができ、江戸東京野菜の使用店を探しやすくなっている。

この場合、墨田区を見ると、押上「よしかつ」しか掲載されていないのが現状であることから説明を受けたもの。

登録申請が増えることを願っている。

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2017年06月22日

平成29年度 東京都農林水産業技術交換大会で、練馬大根の渡戸秀行さんが健闘する。


平成29年度 東京都農林水産業技術交換大会が、20日、新装なった東京都農林水産振興財団講堂に都内の若手農業者を始め、関係機関など70余名を集めて開催された。

当日の早朝、練馬区平和台で江戸東京野菜の栽培をしている渡戸秀行さんから電話があり、急な話ですが、と前置きして、今日、振興財団で行われる技術交換会に出場します。と云う。

何でも、昨年立ち上げた「練馬大根2020東京オリンピック出荷研究会」を代表して、乾燥した練馬大根の商品化について報告をすると云う。

乾燥練馬大根の試食会に参加しているので、先約があったが、調整して会場に伺った。





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挨拶
 (1)公益財団法人東京都農林水産振興財団  産形稔理事長
    (2)東京都農業振興事務所   龍野功所長
    (3)東京都農業改良普及事業協議会 榎本高一会長

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posted by 大竹道茂 at 00:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 江戸東京野菜と生産者達

2017年06月21日

東京會館 和食の総理長鈴木直登さんから、”「食の街道」を味わう 新・伝統食の宴”の案内をいただいた。



東京會館 和食の総理長鈴木直登さんから、”「食の街道」を味わう 新・伝統食の宴” を7月30日11時から、一ツ橋の如水会館で開催するという、ご案内をいただいていた。

2013年に「江戸の名工」として、鈴木直登総料理長が平凡社から「東京會館 おせちと節句料理」の出版された記念のパーティーのご案内をいただいたことがあった。

同年秋には 国の「現代の名工」に選ばれていて、翌年10月には東京会館ローズルームにおいてパーティーが行われ、

12月には、気の置けない者たちが集まるからと、お誘いもいただいた。






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現在、東京會館は、三菱地所が進める大手町、丸の内、有楽町の再開発計画により、建て替え作業が行われていて、鈴木総料理長は系列の如水会館で包丁を握っている。

お申し込みは上の画像をタツプする。
ご案内によると、鈴木さんが四條流包丁士として伝統の技「 四條流包丁式・蓬莱の鯛」を執り行い、

江戸東京野菜コンシェルジュ協会顧問の向笠千恵子先生が、トークで「食の街道」入門を語る。

江戸の頃の料理や、新感覚の伝統食がいただける。
posted by 大竹道茂 at 00:40| Comment(0) | TrackBack(0) | イベントの紹介

2017年06月20日

新宿区立柏木小学校の4年生が取り組んでいる江戸東京野菜の「鳴子ウリ」が雌花を付いた。


新宿区立柏木小学校(佐藤郁子校長)の4年生が取り組んでいる「鳴子ウリ」の栽培は、栽培指導をされている梶谷正義先生と、4年生の担任坂本敬紘教諭とのメールのやり取りが届いているので、その経過を紹介する。

梶谷先生
10日午後2時頃、新宿に出る用事がありましたので
鳴子ウリの様子を見に伺いました。

生育は順調ですが、次の点をお願いします。
 ・子供たちに分かりやすいように子ヅルに印をつけておきましょう。

 ・子ヅルは元気が良いものを3〜4本だけ伸ばし、
残りは親ヅルの付け根から切り取って下さい。
  伸びている子ヅルを全て残しておくと混雑して
風通しが悪くなりますので。

 ・残した子ヅルは出来るだけ間隔が開くように誘引して下さい。

 ・ネットへの誘引も同じようにして残した子ヅルを誘引して下さい。
  現在、ネットの裏側に伸びていますが、
このままにして置くとネットへの誘引がしにくくなります。

誘引のやり方が分からない場合は、ご連絡下さい。





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坂本先生は、梶谷先生の指導で、親ヅル、子ヅル、孫ヅルがわかるように、色分けしたモールで区別したようだ。

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16日 坂本先生
鳴子うりの子ヅルも成長してきていたので摘心を行い、
ネットに誘引もさせました。
孫ヅルも生えてきています。

17日 梶谷先生
ご報告ありがとうございました。
これからは誘引に力を入れ、混雑しないようにして下さい。
雌花が着いてきたようですので、追肥をして下さい。
元肥としてまいた有機配合で結構です。
坂本さんお手で3握りほどを花壇全体のまんべんなくまいて下さい
敷きわらの上からまいて大丈夫です。
葉っぱにかからないように注意して下さい。
posted by 大竹道茂 at 00:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 江戸のマクワウリ各種

2017年06月19日

朝日新聞の19日土曜版beの連載「みちのものがたり」は、日本の農業を支えていた”種子屋通り” 。 


4月末だったか、朝日新聞の大村美香記者が、土曜版のbeの連載「みちのものがたり」を担当していて、6月に巣鴨の地蔵通りのあたりを書くので、種屋の話を聞きたいと云うので、出先でお会いした。

取材を始めたばかりのようだったので、地蔵通りの入り口にある、江戸六地蔵尊の信号機の下に、平成9年にJA東京グループが建立した「江戸・東京の農業 旧中山道は種屋街道」 があることを紹介した。

種屋街道は、何度も歩いているので、紹介しやすい。



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現在、種屋としては、日本農林社などが残っているので、近藤宏会長に昔の話を聞くといいと、アドバイス。

また、種屋の近代史を研究し、「伝統野菜をつくった人々」(農文協)を著わした阿部希望さんにも話を聞くといいと紹介。

私のことは、コンパクトに
 江戸東京・伝統野菜研究会代表の大竹道茂さん(73)はJA東京中央会在職中から30年来、江戸東京野菜の復活に取り組む。 「種をまいて育てて食べ、また種を採ってと繰り返して、江戸からつながる命は、まさにレガシー。次の世代に渡していきたい」と江戸東京野菜がこだわっているポイントを書いてくれた。

「種子屋通り」として、盛りだくさんの情報が詰まったページに仕上がり、新聞としては読みごたえがあった。
大村さんご苦労様でした。



posted by 大竹道茂 at 00:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 出版物・メディヤ等の紹介

2017年06月18日

明治の初め北多摩の三鷹・府中あたりまでの村々が一時品川県に属していた。


先日、多摩地区が東京府に移管されて100周年を記念した25年前の日本酒が出てきた話を紹介したが、

改めて、神奈川県だった多摩地区が東京府に移管された経過を調べてみた。

それまで大名などが治めていた各藩は廃藩となり、新たに県が置県となった、いわゆる廃藩置県で、多摩地区の大部分は明治4年に新たに置県された神奈川県に編入された。

明治26年(1893)になって多摩地域は神奈川県から当時の東京府に移管されたが、移管について、政府の表向きの説明は、東京の飲み水である玉川上水の水源を管理するため、多摩地区を東京府に移管するというものだったが、背景には勢力を増していた多摩地区の自由民権運動があったようだ。



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しかし、ここに至る間にごたごたがあった。
慶応4年(1868)7月武蔵知県事に任命された旧代官松村長為の支配地域が後に品川県になる。

しかし明治2年(1869)、知県事は廃止され、代官や旗本の旧領は置県された品川県、韮山県、入間県、西端県となった。
多摩地区は、品川県、韮山県、入間県などに移ったわけだ。

多摩地区に品川県だったところがあると云うので気になって、品川区文化財係に教えていただいた。

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江戸末期に建てられた野崎村の名主吉野家が、小金井にある江戸東京たてもの園に移築されている。

松村長為の支配地域(幕府領)
本宿村、屋敷分村、府中宿ノ内・本町、府中宿ノ内・番場宿、府中宿ノ内・新宿、是政村、常久村、上染屋村、下染屋村、押立村(以上現府中市)  (◎府中宿の本町、番場宿、新宿、是政村で二代将軍秀忠が、真桑瓜の栽培をしている)

恋ヶ窪村、国分寺村、本多新田、内藤新田、戸倉新田(以上現国分寺市)、

上飛田給村、下飛田給村、上布田村、国領村、上給村、矢ヶ崎村、金子村(以上現調布市)、
覚東村、駒井村(以上現狛江市)、

大沢村、野崎村、牟礼村、上仙川村、中仙川村、野川村、北野村、上連雀村、下連雀村、井口新田、(以上現三鷹市)、
吉祥寺村、西窪村、関前村、境村(以上現武蔵野市)、
梶野新田、関野新田、貫井村、上小金井村、下小金井村(以上現小金井市)

松村長為の支配地域(旗本領)
小田分村、人見村、車返村(以上現府中市)、
上石原村、下石原村、布田小島分村、下布田村、深大寺村、給田村、 (以上現調布市)、

以上が品川県になったが、明治4年(1871)11月13日,廃藩置県に伴い品川県を始め、韮山県、入間県、西端県は2年で廃県となってしまい、

12月5日には,多摩地域のうち(のちの東多摩郡の地域)中野村ほか54町村は、東京府に編入となった。
多摩地域の大部分(現在の三多摩地域)は神奈川県に移管された。
明治政府の混乱ぶりがよくわかる。

因みに、多摩地域は、明治11年に西、南、北、東の郡として制定、東多摩郡も存在していたのだ。

東多摩郡は、明治22年町村制の施行により野方・中野・和田掘内・杉並・高井戸・井荻の6村となる。
29年4月1日,東多摩郡は、南豊島郡と合併して豊多摩郡に編入し,東多摩郡という郡名は廃止となった
現在の中野・杉並両区の地域だ。

さて、神奈川県に移った三多摩だが、それで終わらず明治26年(1893)、神奈川県から当時の東京府に移管されたのだ。

品川県は現在の港区、渋谷区、新宿区内の一部なども入っていたから、今度は23区内も調べてみたい。



posted by 大竹道茂 at 00:10| Comment(0) | TrackBack(0) | その他関連情報