2019年05月31日

6月15日(土)、江戸東京野菜は試食もあります

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申し込み方法は、上の画像をタップして。
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2019年05月27日

深大寺のお庭に、江戸東京野菜の「アシタバ」が植えられた。



先週、深大寺の張堂完俊住職にお招きいただいたが、お料理にアシタバが出てきた時には、江戸東京野菜に認定されていることから、皆さんの話題になった。

一味会の浅田修平副会長は、深大寺で、そば店「門前」を営んでいるが、大島のアシタバを仕入れて天婦羅にして出していて、ご馳走になったことがある。

そんな時に、張堂住職が、アシタバを庭に植えたいと、おっしゃった。

植栽として植えたいのか、食用として植えたいのか、どちらかと思ったが聞かづにいたが、小平で江戸東京野菜を栽培している宮寺光政さんを思い出した。

宮寺農園には、アシタバが自生している。
何でも昔、八丈の友人と、三宅の友人からもらったと聞いていたが、種から発芽させた苗を「持っていくか!」と言われたことがあったから、そこで、今度お持ちしますと、約束をした。





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宮寺さんは、いつだったか、「夏そばを味わう集い」に招かれたことがあるから、張堂住職が、アシタバを庭に植えたいと、おっしゃったことを伝えると、お持ちくださいと言って、快く苗を6本分けてくれた。

上の画像をタツプする。

宮寺さんは植える場所について、日当たりの良いところはだめで、半日陰になるようなところがいいと云って袋に詰めてくれた。






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浅田副会長に日程等についてお伝えしてあったので、境内管理の加藤さんに対応してもらった。

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庭というのは、張堂住職のお住いの庭で、ご住職には事前に何もお伝えしていなかったので、日当たりの良いところが掘ってあった。
宮寺さんに言われているから、モミジが日陰を作っているアジサイの脇がよろしいと、ご住職にお伝えして場所を変えてもらった。

江戸東京野菜の「アシタバ」だけに、管理については、加藤さんに良くお願いした。
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2019年05月26日

地産地消の江戸東京野菜を 収穫体験&一日限りの「特別会席」は寺島なす。


日本料理会席の昭和の森「車屋」が20周年記念として始まった
地産地消の江戸東京野菜を収穫体験&一日限りの「特別会席」

昭島 昭和の森 四季彩和倶楽部は、
車屋の匠×江戸東京野菜 地産地Project
--美味しさの愉しみ、伝統野菜をつなぐ−

第2弾のテーマ野菜は、立川市の江戸東京野菜栽培農家
清水丈雄さん夫妻が栽培する江戸時代の寺島なすが登場します

この季節に生産される江戸東京野菜も料理長が検討しています
それはお愉しみ!!



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上の画像をタップしてご覧ください
50名限定の企画は先着順です

昭島 昭和の森 四季彩和倶楽部からも


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2019年05月25日

早稲田の地をミョウガを探して9年ぶりに歩いてみた。



3月初めに、番組制作会社の川健さんから、電話をもらった。江戸東京野菜の話を聞きたいという。

よく番組のディレクターと称して電話が来るが、自分の要件が済むとそれだけで、番組内で間違った理解をして放送する場合もあり、無責任な対応が多いので、電話での取材はお断りしているが、当ブログをよく見ているので、お会いして話を聞きたいという。

そこまで言われると、それならと昭島まで来ていただいた。

10時に喫茶店でお会いしたが、川健さんと同社の方と2人で見えたが、「東京の野菜」をテーマにした番組を検討していると云っていてたが、私が書いたものや、江戸東京野菜関係の資料などをたくさん持っていて、本気度が伝わってきた。






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江戸東京野菜についての質問に答えていたが、復活栽培については、亀戸ダイコンの農業説明板の設置にともない20年前から始まった福分け祭りの開催。
品川カブによる品川のまち興しの取り組みに、東向島地区に広がった寺島ナス、家康・秀忠・家光が愛した美濃の真桑瓜、青茎三河島菜は荒川区の観光資源にも位置付けられた。

聞き上手だから、2時間以上話し込んでしまった。

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そんな中で、早稲田みょうが捜索隊の話は面白かったようで、隊員の1人伊藤俊文さんが作った「早稲田界隈茗荷発見場所」をお見せしたら、本当に早稲田の地にミョウガが生えているのか案内してくれという。

それならと、かつて捜索隊が早稲田大学周辺を歩き回ったところを案内することになった。






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早稲田駅の改札で待ち合わせて、最初に案内したのが、穴八幡宮に建立した農業説明板。

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早稲田大學構内の古墳「冨塚跡」には、ドクダミとともにミョウガ(写真右上下)が生えていた。






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次に、小野梓記念館の非常口「モニュメント早稲田茗荷」に向かった。
当時、副総長だった堀口健治先生が、早稲田にあるミョウガの記念碑として教えてくれたものだ。

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途中、早稲田中学のミョウガの栽培地(写真左下)は、同校の要請で井之口喜實夫さんが定植したものだが道路沿いで管理が十分ではなく一部は枯れていた。

また、校舎をバックにした古い民家は取り壊されて、お寺の敷地になっていて、ミョウガはなくなっていた。





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堀口副総長が、指導して大隈庭園内に造った田圃

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農樂塾の学生たちは苗代を用意、田植えの準備をしていた。





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新宿区が管理する甘泉園を抜けて水稲荷神社へ。

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水稲荷神社の裏には9年前(2010)はミョウガがたくさん生えていたが、わずかになっていた。





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西早稲田にあるお寺、亮朝院脇の細い私道には、9年前にも生えていたが、今は栽培しているようだ。

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早稲田大学甘泉寮(写真左)の奥、細い市道の茗荷の自生地(写真右上)、
新宿区立戸塚第一幼稚園の露地(写真右下)にも生えていた。







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早稲田大学体育館に近い、三品食堂で昼食。
当時、早稲田大学周辺商店連合会の会長をされていた北上昌夫さんがいらした。
三品食堂の三品は、牛めし、トンカツ、カレーで、

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先日、Nエブリーだったか、テレビで同店を紹介していて、
剣道部の学生たちが食べて優勝したと報じていた。

その、牛めしとカツカレーのミックスをいただいたが、
お腹が減っていたので写真を撮る前に、一口食べてしまった。

店の前の大学の敷地には、早稲田ミョウガが植えられ。
北上さんが、栽培管理しているそうで、
「植木屋さんが入ると雑草と一緒に抜かれてしまうので、
簡単な看板も立てています。

ここも、大学の要請で井之口さんが定植したもの







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鶴巻町の天祖神社には、説明板に「茗荷畑の神明宮と言われて住民から崇敬されていました。」とある。

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天祖神社には、井ノ口さんが獲れたてのミョウガを奉納している。

ここも井之口さんが、氏子の町会からの要請で定植したもの

山吹町のあたりで、江戸から15代続くお宅を探したが、わからず改めて探すことで、皆さんとはここで別れた。


追録

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江戸川橋から茗荷谷に1人で向かったが、しばらく歩いて鼠坂を登った。

結構起伏のある地形を歩いて拓殖大学の東門脇に出た。
そこには同大が設置したミョウガ畑があり、地元町会の皆さんが栽培管理をしていると聞いた。

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文京区の説明板には「御府内備考」に「茗荷谷は七間屋敷の北の谷なり、むかしこの所へ多く茗荷を作りしゆえの名なり、今もそのなごりのめうが畠すこしのこれり、此辺にはことに広く、その唱へも名高き所なり」とある。

文京区の「茗荷坂」の説明板と、旧町名案内においても、「御府内備考」の一説が紹介されているだけで、他に古い資料はないようだ。

早稲田から茗荷谷まで3時間の行程だった。

追伸
早稲田ミョウガの捜索ではお世話になった石原光訓さんは高知に、
松井健太郎さんは高崎に、資料を作った伊藤さんとも連絡が取れた。

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2019年05月24日

令和になって初めての、更科堀井 春の会が5月20日(月)、21日(火)の2日間、開催された。


第15回 更科堀井 春の会が、令和元年5月20日(月)、21日(火)の2日間、18時から麻布十番の本店で開催された。

開会にあたり、江戸ソバリエ協会のほしひかる理事長の司会進行で「春の会」が始まった。




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上の画像をタップすると「御献立」
御献立は、ほし先生の奥様・白遊先生に揮毫いただいた。


ほし理事長からは、第16回江戸ソバリエ認定講座についても紹介があった。






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更科堀井の主人堀井さんが、来店のお礼を申し上げた後

今回で15回ということですと、「春の会」の開会が4回目ですから、
江戸東京野菜の食材は限られてきますから、
マンネリ化してきそうなんですけど、しないんですね。

ますます林幸子先生のアイディアがぶっ飛んで、
宇宙をかけるようですごいですね、

実は、うちの息子が4月から京都の菊乃井に修行に行っていますが、
ようやく慣れてきたようです。
菊乃井の村田さんが常々言っている言葉に、料理というのは
「味ではあらへん!」perfume(香り)と texture(食感)と「ワァォ!」
驚きだという。それが料理の楽しさだと云うんですが、

今日の林先生の料理は、確かにそうだと思います。
特に今日の「そば」2品は、ワァォ! と perfumeと textureです。
蕎麦屋の目で見て、今までこのような蕎麦の扱いをしていません。
皆さんも ワァォ! と perfumeと textureを感じながら
食べていただくと料理の側面が見えてくると思います。






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今回の食材は、東京ウド、明日葉、川口エンドウ、志村みの早生大根、
妻物の鮎蓼と紫芽、谷中生姜のジンジャーシロップ

上の画像をタップする。

川口エンドウは、東京八王子市の川口地区に伝わる「きぬさや」と同じ「莢」を食べるエンドウ。
今回は、当ブログでも紹介しているが、莢がつるや葉の色と同じなので、見分けにくいために収穫が大変で、「川口エンドウ女子隊」が、応援している。

志村みの早生大根は、21日、22日に板橋区の「さつき祭り」で販売する中から分けていただきました。
生産者の木村博之さんと会田幸夫さん、JAの豊田太輔さん、ありがとうございました。

ツマモノの鮎蓼は、アユと食べる時だけに使われる野菜だけに、ピリリと辛い葉を味わってもらった。






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林先生の料理の紹介は、料理のところに掲載する。

上の画像をタップする

日本農業新聞編集局営農生活部の高川麻緒部長が、江戸東京野菜を記事にしたいと連絡があったが、カメラマンが出払っているというのでご自身で写真を撮ってくれた。

会場には、グランドハイアット東京の本多良信シェフ(江戸ソバリエ)と遠藤梓シェフドパルティエもお見えになっていた。






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一 蕎麦搔と東京独活の 辛子酢味噌和え
一 湯上り川口豌豆と更科蕎麦サラダ

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蕎麦搔は、独活をかわいらしく切って絡めたものです。
芥子酢味噌の味噌はちくま味噌の江戸甘味噌を使っています。それを芥子酢味噌で和えましたので楽しい味になっています。

名前を色っぽいのにしようということで、「茹でたて」を湯上りにしました。
更科そばをサラダ仕立てにして、素材の味をわかっていただくために塩とオリーブオイルで食べていただく。

初めて、新村るり子さん(江戸東京コンシェルジュ8期)が、お友達の大野美雅子さんを誘ってお見えになった。






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一 鮎の蓼衣揚げ
一 東京エックス冷ししゃぶの 志村みの早生大根卸し

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蓼衣揚げは、蓼の葉をちぎって、てんぷら粉に混ぜて鮎を揚げましたので、蓼のピリリとした辛さはないと思いますが、たっぷりの蓼をまとったアユを食べる機会はないと思いますので、添えてある蓼をかじりながら食べてください。

東京X・豚肉です。これを冷シャブでいただくのに、志村みの早生大根の卸でいただきます。
鬼卸で、たっぷり卸していますから、大根の食感を十分感じてください。


JA東京中央会江戸東京野菜普及推進室の村田雄飛さんが初めて参加された。






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一 蓼切の練蓼添え
一 明日葉 生粉打太切の釜あげ

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明日葉を更科そばに練りこんで、太打ちにしてあり、釜揚げ熱盛で、水で絞めていません。
噛んで食べる蕎麦で出しています。

蓼切で、更科そばに練り込んでいただきましたが、蓼はインパクトが弱いのでジェノバペーストのように、オリーブオイルと塩をミキサーにかけたもので、蓼をたっぷりと使った、とても贅沢な食べ方で、それを楽しんでいただけたらと思います。









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一 蕎麦の実と愛玉子の 谷中ジンジャーシロップ

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谷中ジンジャーシロップに、レモンを絞り、台湾のデザート愛玉子(オーギョーチィ)と、蕎麦の実(常陸秋そば)が入ったデザートです。

会場には、初めての江戸東京野菜講座に参加いただいた、ソバリエの藁科美伸さんも見えていた。





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最後に、河合料理長からご挨拶があったが、会場からは、
美味しいお料理を作ってくれたと、感謝の拍手が沸き起こった。

江戸東京野菜コンシェルジュ協会の佐々木昭理事が、
初めての江戸東京野菜講座を紹介した。

追録>
林先生が丹波で行われるワークショップ「出汁の会」を紹介。

この日のことは、22日の日本農業新聞全国版に掲載された。
高川部長ありがとうございました。

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2019年05月23日

深大寺の張堂完俊住職からお招きをいただき、親しく懇談をさせていただいた。


先日、江戸ソバリエ協会のほしひかる理事長と一緒に、深大寺 張堂完俊住職から、お招きをいただいた。

深大寺で、お蕎麦をいただいたのは、2011年の「夏そばを味わう会」にお招きいただいていて、その後、何度もお招きいただいている。

張堂住職は、昭和60年代から深大寺蕎麦の歴史文化を後世に伝えるべく、地元農家(檀家)の協力を得て、そば栽培に取り組み始めた。

さらに蕎麦文化を広めるために、栽培からそば打ち、食べ、語る同好の市民を中心に「一味会」を結成して、年末には「深大寺そばを食べる会」を開催し、32回を数えている。

また、平成22年には「夏そばを食べる会」が始まり、大分県豊後高田産、埼玉県三好産、鹿児島県志布志産
福島県川内村産、長野県木島平産など、他産地のぞばを紹介、みんなで味わっている。





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深大寺では、平成21年からは一味会の協力により、檀家や市民を対象に「深大寺そば学院」を開校しているが、お約束の、水神苑の入り口に、今年のそば学院、受講生募集!! の案内が張ってあった。

上の画像をタップする


昨年は、講師として「江戸東京野菜と蕎麦料理」をテーマにお話をさせていただいたことは当ブログで紹介している。


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2019年05月22日

高野重春さんから宗兵衛裸麦の栽培の様子を送ってくれた。


宗兵衛裸麦は、2015年に江戸東京野菜推進委員会事務局の水口均さんが、農業資源研究所のジーンバンクから種子(50粒)を取り寄せ、高野さんに28粒で復活栽培を託したもので、

八王子伝統の裸麦をなくしてはならないと、栽培している。





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今年も、手前13bを3畝、奥に15bを1畝作っていて6月初めには収穫できるだろうというから、秋冬野菜との栽培ローテーションも可能だ。

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宗兵衛裸麦を八王子特産として六次産業化できないかだが、裸麦は大麦で、みそや焼酎の商品化は行われている。
JA東京あおばでは、100キロで、麦茶を作ったが、これも参考になる。

押上「よしかつ」の主人佐藤勝彦さんに相談したら、生産量の多い愛媛県では商品化が進んでいて、変わったところではクッキーなどもあるという。

先日、福島秀史さんの畑を訪ねたら、福島さんも栽培していた。






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高野さんは八王子の自然を「畔っこ瓦版」として毎月、月末に発行していて
紹介が遅くなったがNO156の4月号を送ってもらっている。
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2019年05月21日

居木橋カボチャのゆかりの地、沢庵禅師の東海寺に寄ってみた。


品川歴史館の冨川武史学芸員にお話を伺ったが、居木橋カボチャには諸説があるようだ。

品川歴史館解説シート「江戸野菜の名産地・品川の農業」には、「居木橋南瓜は、禅僧・沢庵宗彭が、三代将軍家光により北品川東海寺の開山を命じられた寛永15年(1638)、上方から種を取り寄せ、居木橋村名主の松原庄左衛門に栽培させたのがこの地方の南瓜の始まりという伝承がある。」とあるが、

これは居木神社に平成9年に建立した「江戸東京・農業 居留木橋カボチャ」に書いてある。

「江戸・東京ゆかりの野菜と花(農文協)」には、一説として「三代将軍・家光の時代、澤庵禅師が北品川の東海寺の住職だったときに、
井戸辺で苗を発見して名主の松原庄左衛門に栽培させたのが始まりという。その一方で、禅師が各地をたずね、中国地力から持ち帰ったとも伝えられる。」とある。                     





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品川歴史館の帰りに、京急の立会川駅まで歩いて、新馬場で下車
沢庵禅師の墓がある通称大山墓地に向かった。

寛永16年(1639)、
三代将軍家光によって創建された東海寺の開山に迎えられ、
沢庵宗彭は晩年を送った。

墓の後ろ(西側)をJR東海の新幹線が走っていた。

上の画像をタツプする
墓に登る石段の東側はJR京浜東北が走っている。







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小堀遠州が築造したと伝えられる墓は、
大きな自然 石を置いた沢庵の墓である。

沢庵禅師は、米糠を使った漬物、ぬか漬けの普及により、
五代将軍綱吉の時代になると、練馬大根をぬか漬けにして販売する
江戸っ子の食生活に欠かせず、沢庵漬けとして現代まで普及される

上の画像をタップする
居木橋カボチャの苗を発見した井戸を確認することはできなかった。






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グーグルマップで見ると、東海寺と大山墓地は離れていて、
新幹線と東海道線に挟まれた場所になってしまった。
目黒川に架かる居木橋も近い。

上の画像をタップすると品川歴史館解説シート
「東海寺と沢庵」の裏ページに万治3年(1660)、東海寺に残る
一番古い境内絵図を見ると、広大な境内地を持っていた。

一説によると、
大政奉還により明治政府は、幕府の手厚い保護を受けていた東海寺を
明治6年に接収し、境内に後の官営品川硝子製造所を創設した。

以後、境内地には鉄道を通し、民間等に払い下げた。
これにより東海寺は旧塔頭の玄性院(元・臨川院)と、
大山墓地が残るのみとなってしまった。

追録

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墓の隣、官営品川硝子製造所跡に、JR東海のリニア中央新幹線の非常口(都市部)変電施設(地図の白丸)が作られていた。
品川駅を出て、沢庵和尚の眠る真下、地下40bのところから右に洗足池方面に曲がっている。

2019年05月20日

江戸の「居木橋カボチャ」と上方の「勝間南瓜」の接点を調べる。


先日、頼みごとがあって品川区立品川歴史館の冨川武史学芸員を訪ねた。

同館には、昨年めぐろ歴史資料館が特別展として「目黒のタケノコ〜竹がもたらすもの」を開催する中で、筍の話を依頼されたことがあって、丁度同時期に品川歴史館では「山路治郎兵衛のタケノコ栽培と足跡」の企画展を開催していたので情報収集に伺ったことは、当ブログで紹介している。

品川には平成9年に、品川神社の境内に、「品川ネギとカブ」の農業説明板を建立していて、それに伴って、毎年12月23日には、品川蕪品評会が品川神社に大勢の区民を集めて開催されている。





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上の画像をタツプすると品川歴史館解説シート

〜居木橋南瓜、戸越の筍、品川蕪〜、の内、居木橋村の特産カボチャ・居木橋カボチャは江戸東京野菜として探しているカボチャだ。

居木橋カボチャは、寛永15年、上方から種を取り寄せ、居木橋村名主の松原庄左衛門に栽培させたという伝承がある。


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2019年05月19日

八王子の江戸東京野菜「川口エンドウ」が収穫期を迎え、収穫支援の「女子隊」が結成された。


更科堀井の「春の会」が、5月20日21日の両日開催されるが、川口エンドウの料理が予定されている。

川口エンドウは収穫が大変で、昨年から多摩・八王子江戸東京野菜研究会の八幡名子さん(江戸東京野菜コンシェルジュ)が、収穫サポート隊を結成したが、今年から「川口エンドウ女子隊」の名称のもとに、農家の収穫支援にあたることになった。





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先日、江戸東京野菜の流通に尽力いただいている果菜里屋の高橋芳江さん(江戸東京野菜コンシェルジュ)とご主人の廣道さんが、濱中俊夫さんの畑で収穫支援を行った。

上の画像をタップする
濱中さんの畑は4月の末に当ブログで紹介している。

まだ、収穫量は少なく17日から八幡さんが支援している。



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