2009年01月22日

雑誌「サライ」で、松竹梅「白壁蔵」生酛純米と、江戸東京野菜の料理は合う。


昨年の11月に、雑誌「サライ」から電話があり、江戸東京野菜を栽培している畑で江戸東京野菜の話を聞きたいという。
小金井の井上誠一さんに電話をしたら、亀戸大根と大蔵大根があるというので、撮影させてほしいとお願いして、21日、撮影に臨んだ。
畑には、サライの関係者、小学館、松竹梅からも関係者が来るという物々しさだった。

詳しくは聞いていなかったが、松竹梅「白壁蔵」の宣伝で、江戸東京野菜に合う酒と云うことで、畑で一口いただいた。
生酛純米の「白壁蔵」は、麹の香りがいい、そして辛口で切れがよく旨い。




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お料理は、別に、日本橋「ゆかり」の3代目の喜三夫氏に頼んでいると伺っていたので、2代目の喜一郎氏が江戸東京野菜の普及に尽力いただいていることを話した。




雑誌は、1月22日に発売になった。

2009年01月01日

【1月号】古典落語から見えてくる江戸庶民の食文化


  五代目古今亭今輔が得意としていた「ネギマの殿様」は江戸庶民の食生活の一端が垣間見えて面白い。本郷(文京区)あたりに住んでいる殿様の噺だ。目覚めると庭一面の雪をみて、向島(墨田区)の雪景色が見たいと、老いた田中三太夫を連れて馬で出かける。途中池の端(台東区)まで来ると、煮売屋(小料理屋)が軒を並べ、鍋料理の匂いを漂わせている。殿様は「珍味な香りがしている」と、三太夫が止めるのも聴かず、その一軒に入っていく。町人が食べている鍋を指して「あれは何じゃ」と訪ねると店の若い者は「ネギマ鍋」と教えてくれるが、早口だから殿様には「にゃー」と聞こえる。そこで、「にゃー」と酒を注文し、その日は雪見を中止してほろ酔い加減で屋敷に戻る。ある日殿様は、ネギマ鍋の味が忘れられず屋敷で「にゃー」を食べたいと言い出す。ご膳番は「にゃー」がわからず、三太夫に聴いて、ようやく殿様の満足する「三毛のにゃー」を作ることが出来たが、殿様は店のように醤油樽に座って食べたいと「醤油樽を持て」で噺は終わる。



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噺の中で師匠は「ネギマ鍋」について「煮売屋ですから骨付きのトロ、血合などをぱんぱんぱんと切って放り込んで、ネギなどもあおいところも切って・・」とか、くずぐずと煮え立つ鍋の匂いに満足の殿様がネギを食べると「う・・・、なにやら鉄砲仕掛けになっているぞ、なにやらノドへ」、店の若い者「それはネギの芯が飛び出したんです」。

見えてくるもの
ネギは関西では葉を食べ、関東はネギの軟白の部分を食べる。天正年間(1573〜1592)に摂津(大阪)から来た者が砂村(江東区)で栽培を始めたが、攝津より寒かったのか、ほとんどが霜枯病のような病気にかかってしまった。もったいないと、土に埋まっていた軟白の部分を掘り出して食べると甘くて美味しかったので、その後、江戸では土寄せで軟白の部分を長くする技法により、根深ネギを食べる食文化が定着していった。 噺の中で「ネギなどもあおいところも切って・・・」とあるが、ネギは軟白の部分を食べるためあえて「あおいところ」を強調、その彩りを「三毛のにぁー」と言って粗雑な料理を印象付けている。また「鉄砲仕掛けになっているぞ」と、根深ネギを食べた様子を可笑しく語っている。

因みに、江戸の頃、マグロは下衆の食べ物として、トロなどは脂も強いことから捨て値。そんなものを千住ネギとで美味しく食べさせたのが葱鮪(ネギマ)鍋である。