2009年06月20日

「よみがえれ! 江戸東京・伝統野菜」の連載が、都政新聞で始まる


江戸東京野菜のメデイアへの露出度が高まってきた中で、東京都や各自治体の議員や職員等に読者の多い、都政新聞社では、東京の農業を紙面の中で連載していく企画が生まれ、東京都農林水産振興財団に、相談があった。

これまでも単発だったが、東京の農業についての紹介記事が掲載されていたが、今回は連載するという。
ありがたい話だ。



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この企画、第1回は、「寺島なす」で、5月の連休明けに墨田区立第一寺島小学校で栽培の二日つが始まったばかりだったことから、紹介したもの。

尚  同紙では、HPで紹介するという。


9.6.20
posted by 大竹道茂 at 10:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 出版物・メディヤ等の紹介

2009年06月15日

6月13日に、京橋大根河岸青物市場跡碑 建設50周年のイベントが行われた


6月13日に、京橋大根河岸青物市場跡碑 建設50周年のイベントが、京橋大根河岸会(石川勲会長)の主催によって行われ、当日は私も招かれた。

京橋大根河岸は、昭和10年(1935年)中央卸売市場が築地に開設されたのを機に当時の問屋集団が卸売会社を結成し築地市場に移転した事から、会長の石川氏は東京中央青果株式会社の社長で、東京シティ青果の会長をされている。
 

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2009年6月13日撮影


上の写真をクリックすると式典の様子


昭和34年6月、大根河岸当時の問屋が集い、京橋大根河岸青物市場跡碑を、京橋の地に建立したもので、早50年の月日が流れた。


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2009年06月01日

【6月号】 京橋大根河岸青物市場跡


このほど「京橋大根河岸記念碑建設50年を祝う会」の主催者(京橋大根河岸会)から招待状をいただいた。昭和34年6月に記念碑(下の写真)が建立されてから50年という節目だが、この50年日本は大きく変わった。都民の食生活を支えてきた築地市場も、食生活の多様化、人口の増加による都市の発展の中で、すっかり手狭になってしまい、新たな移転先が騒がしくなっている。

昭和34年というと、4月に皇太子殿下と美智子様の結婚式があり、その前年は東京タワーが完成している。丁度、私が高校に入った頃だから、30年代初めの数寄屋橋や京橋も、そしてよどんだ川面も記憶に鮮明に残っている。大根河岸の青物市場は昭和10年に中央卸売市場法の施行で泣く泣く築地に移転し、その後、首都圏整備計画によって32年に外堀が埋め立てられて数寄屋橋ショッピングセンターがオープンする。これら運河は水が抜かれたりビルが建設されたり、京橋川も埋め立てられて、昭和37年には、日本で始めての高速道路に生まれ変わった。「京橋大根河岸青物市場跡」が設置されているあたりは、京橋の袂に当るが、屋上が高速道路になっているビルの壁面(写真左のビル)に圧迫されて、河岸から水面を見下ろす開けた景観と面影はまったく無い。


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京橋の青果市場には、江戸の昔からなぜか大根の入荷が多かったことから、誰云うとなく大根河岸と云われるようになった。ダイコン河岸ではない、粋でイナセな江戸っ子は「ダイコ河岸」と呼ぶ。

葛飾方面からは中川を下り、小名木川を通って、深川口から隅田川を横断、八丁堀から京橋川に入って、大根河岸に荷を付けた。特に、3月から4月にかけては、小振りの亀戸大根が大量に入荷している。また、12月には、練馬ダイコンが産地から牛馬によって大根河岸に運ばれた。かつて杉並で農業をされていたお年寄りに昔聞いた話だが、「昭和の始め、父親が荷造りしておいてくれた牛車に乗って夜中の2時頃家を出た。下り坂を選んで京橋まで、5時間もかかったが、途中居眠りをしても牛は可愛いもので慣れた道を京橋まで連れて行ってくれた。 河岸に着くと市場の若い衆が寄ってきて、大根を下ろし、牛は若い衆が河岸のはずれの牛を繋いでおく場所に連れて行き、干草を与えたり水を飲ませたりしてくれた。京橋にもそんな時代があったんだ。」

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