2009年12月20日

The Japan Times が、江戸東京野菜について書いてくれた。しかも同社のHPに掲載している。


12月7日にジャパンタイムス紙の小竹朝子記者が、農林水産振興財団の勤め先に訪ねてきた。

数日前に、電話があって江戸東京野菜の「品川カブ」を販売している北品川商店街の大塚好雄さんを取材したが、そもそもの江戸東京野菜について、大塚さんに紹介をいただいたので、お聞きしたいという。




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品川カブ等、伝統野菜がなぜ、栽培されなくなったのか。

伝統野菜と、交配種の違いは何か、小松菜を例に、その違いを・・・

江戸東京野菜には、物語があるとして、
8代将軍徳川吉宗が、小松菜の名付け親であること・・・。

また、5代将軍徳川綱吉の大根の話など・・・、

私の話を、余すところなく書き込んでくれた。





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2009年12月13日

ブログ地産地消を広げる「地元を食べよう」に、「江戸東京野菜をキーワードに農商行政連携の町おこし」が掲載された。」


地産地消を広げる「地元を食べよう」に、「江戸東京野菜をキーワードに農商行政連携の町おこし」を取り上げてくれたのは、江戸東京野菜(図鑑編)を執筆したフリーライターの八田尚子氏で、2007年から2009年までの小金井の取り組みを4篇に分けて掲載してくれた。

新宿からJR中央線快速電車で約25分の東京都小金井市は、住宅地に農地が点在する、人口11万4千人の自然豊かな町である。この町ではいま、江戸東京の伝統野菜をキーワードとする町おこしが盛んに行われている。




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上の写真をクリックする

小金井の秋は “江戸東京野菜” で盛り上がる

学生たちも江戸東京野菜に注目
「学生発!『食』による小金井まちづくりサークル『いがねこ』」は、
小金井市制50周年記念の公民館イベントを機に、
小金井市周辺の学生が集まって結成された学生サークル。



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2009年12月04日

月刊「江戸楽」のNO.07 2009.11で江戸東京野菜の特集が組まれた。


今年の5月に、月刊「江戸楽」が発刊された。
〜江戸を知れば、東京はもっと楽しい〜で、江戸の興味深い情報を満載しているが、ようやく7回になって江戸の野菜をテーマにしたいと、編集長の西義夫さんが、職場の東京都農林水産振興財団を訪ねてくれた。

江戸東京野菜の物語編図鑑編を農文協から発刊したことで、注目してくれたようだが、

特集「江戸東京野菜の底力」〜首都から始める地産地消〜では
生産者として、星野直治さん、宮寺光政さん、渡戸章さんのリーダーたちがしょうかいされた。
「語る」では、JA東京中央会の榎本輝夫生活広報部長、そして「伝える」として私を紹介してくれた。




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上の画像をクリックする


江戸東京再発見コンソーシアムの取り組みも紹介していて、街めぐり、舟めぐりの事業の他に、ロイヤルパークホテルの梅崎徳孝シェフ、今年9月にオープンしたミクニマルノウチの三國清三シェフは東京の地産地消を述べている。

また、日本橋女学館の小松菜栽培についても紹介している。

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2009年12月02日

公開フォーラム2009「日本の伝統野菜・在来作物のこれからを考える」、山形在来作物研究会から講師依頼。


山形在来作物研究会の江頭宏昌会長から、11月に同会が公開フォーラム2009を開催するからと、講師依頼があった。

テーマは「日本の伝統野菜・在来作物のこれからを考える」というもので、趣旨には、「在来野菜研究の先駆者である青葉高氏は地方の在来種を『生きた文化財』と表現した。伝統野菜・在来作物の持つ本当の魅力とは何か、これからの望ましい活かし方とは何か。講師の先生、参加者の皆さんとともにその本質に迫りたい」とあった。

山形在来作物研究会からのご指名は、名誉なことで喜んでお引き受けした。

前日の昼までにホテルにチェツクインする予定で、新幹線で新潟に行き、そこから
鶴岡に向かったが、新潟から乗り込んだ急行で、野菜文化史研究センター代表の久保功先生と一緒になった。



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上の画像をクリツクすると拡大

フォーラム関連行事として、交流会と見学会が企画されていて、28日18:30からレストラン「イル・ケッチヤーノ」で交流会。
翌日には、現地見学会:11月29日(日)8:30−11:40
余目・亀の尾の里記念館〜平田赤ねぎ生産地〜産直めんたま畑〜山形大学。
交流会および現地見学会へはホテルよりバスで送迎すると云う。


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posted by 大竹道茂 at 22:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 初期ブログ・フードボイス

2009年12月01日

【12月号】 早稲田ミョウガを探しませんか !


今年の8月に足立区興野で、昔から栽培してきたという銀マクワ(本田ウリ)の栽培農家が見つかった。
このニュースは、まだまだ東京の片隅に伝統野菜がひっそりと息づいているのではとの期待を抱かせる明るいニュースであった。



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早稲田の穴八幡宮にある江戸野菜「早稲田ミョウガ」の説明版


江戸っ子が好んだ「早稲田ミョウガ」も早稲田のいずこかに、こっそりと生きているのではないかとの、思いに駆られている。
早稲田ミョウガは、全体に赤みがかり、大振りで独特の香りで、薬味や味噌汁の具、ヌカ漬など、江戸っ子に好まれた。

田山花袋の「東京の三十年」には、「早稲田から鶴巻町へ出て来るところは、一面の茗荷畑で、早稲田の茗荷と言えば、野菜市場にもきこえたものであった。」とある。
花袋が明治14年(1881)に上京してから三十年間の変遷を記したものだが、明治15年大隈重信によって早稲田大学の前身・東京専門学校が田圃の中に設立されると、その後、辺りはしだいに学生達の食堂や書店、下宿屋などが出来る。

夏目漱石の「硝子戸の中(初版大正4年)」で「早稲田に移ってから、私はまたその門前を通って見た。表から覗くとくと、何だかもとと変らないような気もしたが、門には思いも寄らない下宿屋の看板が懸っていた。私は昔の早稲田田んぼが見たかった。しかしそこはもう町になっていた。」とあり、明治の終わり頃には、早稲田ミョウガは田圃と同じ運命をたどっていたようだ。

しかし、神社やお寺の片隅、昔から残る屋敷の一角にしぶとく残っているのではとの期待も捨てきれないでいる。
早稲田ミョウガの捜索活動は、昔の早稲田や地理に詳しい方を探してからだから来年の春以降になるが、見つかったあとは何年かかけて増産する。
 
夢にまでみた早稲田ミョウガを刻んだ薬味。 内藤新宿ゆかりの八つ房の唐辛子とともに「そば」の薬味として食べてみたいのは、私だけだろうか。
posted by 大竹道茂 at 00:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 早稲田ミョウガ