-thumbnail2.jpg)
三河島は三河島菜の産地で、江戸から明治にかけては漬菜と云えば三河島菜だった。
しかし、明治初年に中国から白菜が導入され、また、明治38年に三河島駅が開業すると都市化の進展により、畑は無くなり産地は尾久の方に移り、その後白菜の普及等もあり三河島菜は栽培されなくなっていく。
三河島菜の産地として隆盛を極めた、そんな所にある三河島稲荷神社に、平成9年に江戸東京の農業説明板をJA東京グループが建立した。
続きを読む
江戸東京の伝統野菜は、江戸から東京にいたる歴史の中で、市中や近郊で栽培され、江戸・東京市民の食生活を支えてきました。
この野菜は、固定種といわれるもので、自家採種をしながら命を育み、昔から今日に命が引き継がれてきました。
江戸東京・伝統野菜研究会
大竹道茂
プロフィール
日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | ||||||
2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 |
9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 |
16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 |
23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 |
30 | 31 |
大竹道茂の本
江戸東京野菜の物語
江戸東京野菜(物語篇)
江戸東京野菜(図鑑篇)監修
まるごとたまねぎ(監修)
サツマイモ大図鑑(監修)
江戸東京野菜掲載リンク集
関連情報
酒井文子の江戸東京野菜deクッキング(NEWS TOKYO都政新聞)
友好HP等のリンク集
関連Facebook
動画
アーカイブ
よみがえれ!江戸東京・伝統野菜(NEWS TOKYO都政新聞)
イベント報告
江戸東京野菜を食べさせる店
参考資料