2011年01月20日

三河島稲荷神社にお礼参り、「里帰りした三河島菜」の復活普及を願って。

葛飾区の小学校から依頼されて、江戸東京野菜の話をすることになったので、方向が同じなので、少し早めに家を出て、三河島菜と三河島枝豆の農業説明板のある三河島稲荷神社にお礼参りに出掛けた。

1-1峡田 (2).jpg

三河島は三河島菜の産地で、江戸から明治にかけては漬菜と云えば三河島菜だった。

しかし、明治初年に中国から白菜が導入され、また、明治38年に三河島駅が開業すると都市化の進展により、畑は無くなり産地は尾久の方に移り、その後白菜の普及等もあり三河島菜は栽培されなくなっていく。

三河島菜の産地として隆盛を極めた、そんな所にある三河島稲荷神社に、平成9年に江戸東京の農業説明板をJA東京グループが建立した。



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posted by 大竹道茂 at 06:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 里帰りした三河島菜