「下山千歳白菜」を持つ下山さん(世田谷区で)
作出したのは5年前に他界した繁雄さんの父、義雄さん。
明治時代後半にハクイのウイルス病や軟腐病が広まり、農家が大きな被害を受けた中、試行錯誤を繰り返し改良した。
病気の強さから1953年に種苗登録され、作出者の下山さんの名と、当時地域一帯が「千歳村」と呼ばれていたことから「下山千歳白菜」の名がついた。一時は姿を消したが、98年に地元市民グループの声で復活に至った。
通常のハクサイの2、3倍になる「下山千歳白菜」は、倍の作幅をとる。8月に畑に直播(ちょくは)をし、3回ほど間引きし5、6回の追肥を行う。
ケヤキの葉に油かすや魚ふんを混ぜ、発酵させた堆肥などを使っている。
「下山千歳白菜だけは父親の作ってきた通り、昔通りの方法で栽培しています」と繁雄さん。
この記事は、日本農業新聞1月5日「とうきょう版」掲載されたもので、日本農業新聞、通信員の了解を得て、JA東京中央会の協力により掲載。
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