2014年07月31日
新宿の成子天神社に、鳴子ウリを奉納した。
昨年から新宿区立柏木小学校で「鳴子うり」の栽培が始まった。
このきっかけは、2012年10月に遡る。
江戸時代、鳴子ウリが栽培されていた、神田川流域の学校で「鳴子ウリ」の栽培を希望する学校を探してほしいと、同区教育委員会の小林明子さんにお願いして、柏木小学校で栽培できることになったが、このことは、当ブログで紹介している
「鳴子ウリ」が、この地の特産であったことは、平成9年にJA東京グループが、柏木の鎮守様「成子天神社」の境内に「江戸東京・農業説明板」を建立させていただいているから、地元の皆さんの知ることとなっている。
説明板には、「マクワウリは根が浅く、土の乾燥に弱いので、土に湿り気のある神田川流域の当地は適地でした。
元禄11年(1698)新宿に宿場が開かれたため、栽培は次第に盛んとなり、当時、四谷ウリとか、この地域が鳴子坂と呼ばれていたので、鳴子ウリと呼ばれ、明治にいたるまで特産地として栄えました。 」
説明板を建てさせていただいたこともあり、鳴子ウリの良いものが出来たら、奉納しなければと考えていた。
ところが、2013年に小学校に伺った折、成子天神社に寄ってみると、同社の再整備プロジェクトが進行中で、説明板も片づけられていたが、
今年、御社殿をはじめ境内、参道が竣工された。
鳴子ウリの苗づくりから栽培まで行っている、西東京市の矢ヶ崎宏行さんに、いい鳴子ウリが出来たら連絡してほしいとお願いしていたら、この程いただいた。
竣工なった御社殿は檜木の香りで包まれていた。
三方に鳴子ウリ5個と淀橋カボチャ3個を各々乗せて、初穂料を添え奉納した。
鎌田大宮司より賜った玉串を奉天し、鳴子ウリの栽培復活が実現したことへの感謝と、次代に引き継がれることを神前に祈念した。
大宮司と奥様が対応していただいたが、大宮司には柏木小学校での話や、鳴子うりの話をお伝えしたが、「この辺りは畑だった・・・・」と昔の話をしていただいた。
帰りに、御供物をいただいたが、長年の思いが実現してホッとした。
2014年07月30日
新宿区の子どもたちに農業を指導する梶谷正義先生を、区立の「農業体験の場」に訪ねた。
新宿区の「農業体験の場」は、同区子ども家庭部 子育て支援課 青少年事業係が実施していて、
新宿区立柏木小学校の鳴子ウリの栽培指導をお願いしている、梶谷正義先生が栽培指導をされている。
そもそも、柏木小学校の指導をお願いしたいきさつは、「第2回伝統野菜は長老に聞け!」を、聞きに来てただいた梶谷先生とお近づきになったことで、
お話を伺うと、渋谷区と新宿区で、農業指導をされているというので、柏木小学校もと無理を承知でお願いしたもので、そのことは当ブログで紹介した。
梶谷先生には、「農業体験の場」を取材させてくださいとお願いしていたが、7月26日が、私の都合も良かったので、伺った。

右から、梶谷先生、青少年活動推進委員会の河西秋子会長と喜多洋子委員。
上の写真をクリックする
9時半に「農業体験の場」(新宿7−3−29) に伺うと、新宿区青少年活動推進委員会の皆さんが梶谷先生を中心に打ち合わせをしているところだった。
新宿区青少年活動推進委員会の委員は、45名で、新宿区内10地区に分けて、各出張所の推薦で選ばれた皆さん。
委員の皆さんは「農業体験の場」の栽培や施設管理、梶谷先生の補助などで、子ども達とかかわっている。
子どもたちは、3年生から6年生の33名が、区報から応募したもの。
農業体験は毎年、4月開校で毎週土曜日の10時〜12時、11月末に収穫祭を行うが、無農薬栽培で実施している。
今年で7年目だそうだが、初めは新宿中学の屋上で実施していたが、4年目からは、廃校となった東戸山中学校の用地に、同施設が開設され、梶谷先生は、新宿中学の初めから指導をされているという。
当日は、新宿区同係からは、地域活動指導員の五十嵐さんが見えていて、色々と教えていただいた。
柏木小学校の授業で、梶谷先生に挨拶をした4年生がいたが、聞いてみると「農業体験の場」に参加していて、梶谷先生には指導を受けていた。
熱中症など、健康に注意して作業は15分毎で、休憩を取りながらとなった。
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2014年07月29日
車浮代さんが、季節を味わい体が喜ぶ「江戸おかず」12ヵ月のレシビを発刊
車浮代さんが、季節を味わい体が喜ぶ「江戸おかず」12ヵ月のレシビを発刊した。
車さんは、これまで江戸の庶民料理を紹介する「一日一品江戸料理」のブログを書いていて、当ブログのリンク集にバナーも貼ってある。
何でも、ブログのレシヒが100品を越えたとき「ダイヤモンド・オンライン」で連載「旬を楽しみ、体が喜ぶ江戸料理」を始めたという。
車さんは、「この本が、日本の庶民の優れた食文化である『江戸料理』に、今後ともご興味を持ち続けていただく一助になれば幸いでございます。」と書いていて、
〒112−8001東京都文京区音羽2−12−21
講談社 生活文化局 生活文化第一出版部
Tet O3−5395−3527
Fax O3−3947−2089
担当者 宇治宏子 宛て
Mail h-uji@kodansha.co.jp
本書籍に関するご取材、ご購入等のお問い合わせは上記まで。
追伸
当ブログでは、先に出版された「蔦屋の教え」も紹介している。
2014年07月28日
ブロックで囲った深さ20cm足らずの菜園に40cmの大根がすくすく育つ。
「伝統野菜は長老に聞け!」は、好評をいただいていて、次回は8月23日に開催されるが、今年の3月に開催した第2回は、澤地信康先生にお願いした。
都立農芸高校から千葉大園芸学部、そして東京都農林水産部では、技術畑を歩いてこられた澤地先生の話を聞こうと、大勢の方々に集まっていただいたが、そのことは当ブログで紹介している。
講師をお願いした時に、今でも、畑仕事をしていて、毎日毎日、時間が足りないくらいだと、おっしゃっていて、特に屋上菜園の様子は、母校、都立農芸高校の機関紙に掲載されていた。
ブロックで囲った深さ20cm足らずの畑で、40cmの大根を栽培し、20年にもなるが、毎年屋上で作るスイカは今年も20数個も実をつけ、連作障害などどこ吹く風だ。
屋上緑化が普及する中で、話を聞いた人は誰もが「うそー! 」と、驚くが、掲載紙の写真を見て納得だ。
「・・・長老に聞け!」の講演が終わって数日後に、お礼の電話を掛けた際に、屋上菜園の写真を撮らせていただきたいと、失礼ながらお願いした。
野菜が採れる頃、連絡するからということで、楽しみにしていたら7月初めに電話をいただいて、先日伺った。
平成2年に建てたという杉並区桃井のお宅は、コンクリート造り2階建の瀟洒なお住まい。
上の写真をクリックする
あった!
2階のベランダに作られたブロックで囲った畑に、40cmの青首ダイコン(サカタ あまうま大根) が実っていた。
その他、自根のナス(タキイ 千両2号)、棘なしキュウリ(サカタ フリーダム)、肥後野菜の水前寺菜も栽培されていた。
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2014年07月27日
「鳴子ウリ」の甘い香りが室に広がり、初めて手に取る佐藤校長に喜んで戴いた。
江戸東京野菜の「鳴子ウリ」の苗づくりから取り組んでくれた、西東京市の矢ヶ崎宏行さんから電話が入った。
梅雨明けと共に、暑い日が続く中で、鳴子ウリが完熟しヘタ落ちが続いているという。
話を聞いて「後で電話するから」と、電話を切った後、柏木小学校で栽培指導をしている梶谷正義先生に電話をし、「矢ケ崎さんの鳴子ウリを、柏木小学校の先生方に「鳴子ウリ」を知ってもらうことに使いたいが・・・」と、
梶谷先生は了解してくれた。
柏木小学校へは、25日の午前中に、お持ちするからと伝えた。
矢ヶ崎さんが準備してくれた「鳴子ウリ」をクーラーボックスに入れて、柏木小学校に持っていった。
佐藤郁子校長が、待っていてくれた。
クーラーボックスを開けると、鳴子ウリの甘い香りが校長室に広がった。
佐藤校長は「メロンの匂い!」
矢ヶ崎さんが用意してくれた鳴子ウリをテーブルに広げたが、20個あった。
佐藤校長は喜んでくれて、「矢ヶ崎さんによろしくお伝えください」とのことだった。
同校では、昨年も完熟した鳴子ウリを手に取ることが出来なかったことから、先生方もまだ、完熟の鳴子ウリをご存じないので、まず先生方に知ってもらおうとお持ちしたもの。
上の写真をクリックする。
同校の鳴子ウリは、着果が遅れているが、雌花は幾つか咲いているので期待は持っている。
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2014年07月26日
東京には、黒毛和牛の「秋川牛」、ブランド豚は「TOKYO X」、そして「東京軍鶏」もいる。
今年の2月に、新宿御苑で開催された、「あっぱれ野菜!Study&Cafe」は好評で、Studyを担当した本荘暁子さんの話を、こんどは各論で聞きたいとの声もある。
また、「レストランゆりのき」の伊藤秀雄総料理長が、作り出した大正時代の宮中晩さん会のメニューは、素晴らしかった。
そこで、7月26日開催で、「あっぱれ野菜!Study&Cafe」を募集したら、数日で30名の定員がいっぱいになった。
先日、伊藤シェフから電話をもらった。
何でも、大正時代の宮中晩さん会の夏メニューを予定していて、東京のブランド牛「秋川牛」を使いたいので、とこで購入できるのか教えてほしいと云うので・・・。
五日市の松村精肉店を紹介したが、秋川牛が出てくるとは、お料理が楽しみだ。
話しは変わるが、世界のグルメたちから高い評価を受けている「和牛」。
日本政府は、日本の宝とも言える「和牛」を、農産物輸出の目玉に位置付け、2020年には輸出額を現在の5倍の250億円まで拡大したいとしている。
そんな、世界へ向けた「和牛」の動きを、29日の「ガイヤの夜明け」で放送する。
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2014年07月25日
「とうきょう農紀行34号」は、祝 無形文化遺産登録特集で江戸東京野菜の寺島ナス料理
「とうきょう農紀行34号」が、送られてきた。
「とうきょう農紀行」は、日本農業新聞の事業開発部が編集し、JA東京中央会が発行しているタブロイド版で、都内の農産物直売所や、JAなどに置かれている。
今回の紙面は、日本の和食文化について、江戸東京野菜との関連で掲載したいから、お話を伺いたいと、日本農業新聞の入江紫織さんから6月の初めに、電話をもらった。
丁度、新宿に出掛ける用事があったので、江戸東京野菜コンシェルジュ育成講座の会場として利用している、新宿駅南口から近い「東京アグリパーク」で、待ち合わせをして、そこで取材を受けた。
上の写真をクリックする
入江さんには初めてお会いしたが、江戸東京野菜について良く勉強していて、これまでも同紙に掲載してくれている。
昨年は江戸東京野菜コンシェルジュ育成講座についても紹介してくれたが、その事は当ブログで紹介している。
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2014年07月24日
皇居外苑の楠公レストハウスで、生産者との意見交換会が実施された。
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2014年07月23日
「和食のプロから学ぶ 温故知新セミナー」、7月は千葉の食材、甘いトウモロコシ。
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もきたてのスモモを戴いた。
先週の金曜日の事だが、前日遅かったので、練馬の実家で寝坊をしていたら、玄関のチャイムが鳴った。
出てみると、早稲田ミョウガを栽培している井之口喜實夫さんが、スモモをたくさん持ってきていただいた。
実は、前日電話をもらっていて、庭のスモモが熟したから、明日朝、持っていくからということだったのだ。
失礼してしまった。
井之口さんからスモモは昨年もいただいていて、昨年に比べ今年は美味しいからと云って手渡された。

スモモには、日本スモモと西洋スモモの「プラム」があるが、
日本スモモは甘さと酸味のバランスが好きだが、いただいたスモモは甘くておいしかったが、へたに近いところの淡い酸味がまた美味しい。
夏の風物詩として、大国魂神社の『スモモ祭』は有名で、毎年7月20日に執り行われる。
何でも、平安時代、源頼義・義家父子が奥州安倍氏平定の途中、大国魂神社に戦勝を祈願した。
戦いに勝った帰途に、お礼参りに訪れた際、スモモを神饌のひとつとして供えたことが起源とされているようだ。
スモモはこの季節の果物なのだ。
2014年07月22日
練馬区大泉の加藤晴久さんが栽培ノウハウを生かして江戸東京野菜に取り組む。
都市農業のリーダーの一人として活躍している、練馬区大泉の加藤晴久さんに江戸東京野菜の栽培をお願いしたことは、当ブログで紹介したが、
しばらくご無沙汰をしていたが、平和台で江戸東京野菜に取り組む渡戸秀行さんから、内藤トウガラシの種をもらって蒔いたというので、生育状況を見に出かけた。

関越道脇の畑に案内されたが、
内藤トウガラシが300本、良くできていた。
上の写真をクリックする。
畑も雑草などもなく良く管理されていたが、
ナス科の害虫、カメムシを一匹見つけた。
他にはいなかったが、
果実を吸って穴をあけられたりするので、注意するようお願いした。
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圏央道・青梅インター近くの菜園で、江戸東京野菜がスクスク育っていた。
5月に、個人的に江戸東京野菜に興味を持ってくれたJA西東京の野崎啓太郎組合長のもとに苗を届けたことは、当ブログて紹介した。
その後、ご無沙汰していて、畑に行けないでいたが、先日、降雹被害について調べている中で青梅に行く用事が出来たので、圏央道・青梅インターチェンジ脇の菜園に立ち寄った。

日が長くなったから、仕事が終わった後、役員の皆さんが、時間を見つけては、畑の手入れをされているようで、どれも良くできていた。
トマト、ナス、トウモロコシ、キュウリ、スイカ、エダマメ、西洋カボチャ、ピーマン、インゲン、サトイモなどが生育していた。
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2014年07月21日
第4弾「伝統野菜は長老に聞け!」は、小林五郎先生の登場です。
第1回から好評をいただいている「伝統野菜は長老に聞け!」は、4人目のオーソリティー小林五郎先生を迎えて、8月23日(土)に開催される。
小林先生は、平成4年に「江戸東京ゆかりの野菜と花」と「江戸東京農業名所めぐり」の執筆者のお1人として、東京農業の歴史についても造詣の深いおひとりです。
今回は、江戸の食文化から派生した、ツマモノ文化の歴史、生産等について興味深いお話が伺えるでしょう。
上の写真をクリツクする
小林先生は、野菜専門技術員、普及所長を歴任され、現在は、日本石灰窒素工業会の技術顧問をはじめ、アグリス成城や、各区、市民農園の栽培指導員として活躍している。
上の写真に掲載された著書は主なもので、当日は、ご専門の野菜栽培についての質問もお受けいたします。
申込の詳細は、上の写真をクリツクし、メールにて申し込みください。
e-mail:edocon831@k00.itscom.net
定員になり次第受付を修了させていただきます。
尚、当日は恒例の江戸東京野菜の試食タイムも予定されています。
お楽しみに・・・。
2014年07月20日
立川の内野英樹さんの畑の谷中ショウがの、生育状況を見に寄る。
東京の伝統野菜のひとつ、「谷中ショウガ」は、生産者が国分寺市の小坂良夫さんしかいなかったことから規定で登録されていなかったが、
今年は需要も多いことから、江戸東京野菜に入れようと、JA東京みどりの、原省三部長代理に相談したら、立川の直売所「みのーれ立川」の商品を増やす意味からも、生産者を探し取り組んでくれることになったことは、当ブログで紹介している。
その後、6月2日と7月17日に、内野さんの畑に立ち寄って写真を撮らせていただいたが、乾燥が続いたこともあって、生育が遅れているようだ。
今後の、生育を見守っていきたい。
「江戸東京たてもの園」の小さな畑で、「砂村三寸ニンジン」が発芽した。
小金井市にある「江戸東京たてもの園」の小さな畑で、伝統野菜の「砂村三寸ニンジン」の播種を行ったことは、当ブログで紹介した。
ニンジンの芽だしは難しく、播種する時期が夏場の暑い時で、乾燥しやすいためだ。
今回、西東京市にお住いの清水博史さんが、担当していただいて、西東京のご自宅から、隣村の江戸東京たてもの園まで、自転車で来て、「小さな畑」に立ち寄ってくれていて
上の写真をクリックする
毎日、散水をしてくれていたため12日に播かれたタネは、17日発芽し始め19日にはほぼ出揃う。
降雹の被害から、再生に向けた養生で「寺島ナス」が実り始めた。
6月24日に発生した局地的な降雹は、三鷹・調布の農産物にも大きな被害を与えたが、先日、その後の様子をうかがいに三鷹の星野直治さんのナス畑を訪ねた。
降雹の様子は、テレビのニュースで、繰り返し報道されたことから、当日は全国各地から夜遅くまで、お見舞いの電話が鳴りっぱなしだったと云う。
星野さんの畑では、主力の「千黒2号」(武蔵野種苗園/三芳交配)は勿論、江戸東京野菜の「寺島ナス」も壊滅的な被害を受けていた。
翌日には、ボランティアさんと一緒に、見舞いに来た東京シティー青果の担当が、傷のついた果実や、折れた枝などの後片付けを手伝ってくれたと話していたが、
東京シティー青果の石川勲会長は、わたしにまで電話をくれて、寺島ナスの被害につて心配をしていただいた。感謝!!です。
先日、その後の回復状況を確認しようと、畑に伺ったが、青青とした葉が力強く茂り始めていた。
星野さんが手に取って説明してくれたが、へたの下の白い部分が、夜中に成長した部分で、太陽に当たってアントシアニンが生成されていくわけで、毎日々大きく成長している。
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「午後から雨が降ると云う予報が出ていたので、米ぬかを肥料として撒いたところだ」と云っていた。
米ぬかなど、遅行性の有機肥料は、これからの生育には欠くことが出来ない。
降雹で穴の開いた葉も再生の役割を終えて黄ばんでいた。
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2014年07月19日
青梅市の新町御嶽神社境内に建立されていた「雹害紀念塔」
6月24日に、三鷹・調布という限られた地域で、集中的な降雹があり、農産物に大きな被害があったことは、当ブログで紹介した。
降雹の被害は、江戸の昔から多摩地区では何度も発生していて、青梅市には「雹害紀念塔」が建立されている。
降雹は、日野から国立・府中の道筋と、青梅から瑞穂、武蔵村山、東大和、小平の道筋など、昔から降雹のコースがあったが、最近は、多摩地域の山林開発や、地球の温暖化などで、発生する季節や、降雹の道筋が変わってきている。
かつての降雹の記録を調べていたら、「江戸東京ゆかりの野菜と花」の共著者のひとり、植松文雅先生が、平成元年に東京農業物語として「農業災害(雹害)」について書かれていた。
植松先生によると、古くは、江戸後期の天保の時代の東大和市の記録『指田日記』や、明治の記録としては『相沢日記』などが記されているが、特に、昭和になってからは青梅の霞村・新町に、記録が残っていた。
昭和2年5月15日の降雹の道筋は、青梅から瑞穂、武蔵村山、東大和、小平にかけての地域で被害は発生していて、青梅の霞村・新町では、開村300年にしての大被害だったとして、永遠に記念しようと、「雹害紀念塔」建設の話が持ちあがったと云う。
紀念塔に、碑文はないが、その概要は青梅市の吉野廣助氏が綴った『新町雹害紀念誌』に記されていて、植松先生が書き写されていた。
午前11時20分頃、西北ニ黒雲現レ天鳴動、直二大雷雨卜化シ、径5、6分位ノ降雹トナリ、少時モ間断ナク続テ正午12時二至りテ漸ク止ム。
此間殆ンド30分間ノ長キニ亘リ実二驚キ茫然トシテ倶二顔色ナシ。
外ヲ眺ムレバ松柏ノ類ヲ除ク青葉ハ皆落チ柿梅杏ノ如キ果実ハ為メニ全部落下セリ。
表通り南北二条ノ堀ニアフレ・・・(省略)。
其他草葺屋根ノ軒下ハ羽子落チシ降雹被害1尺5寸乃至2尺位積レリ、又畑ノ畦二流レ込ミシ処モ同断ナリ。
(省略)・・・今回の降雹被害ノ甚大ナル事我新町開村300年来、未聞ニシテ吾人ノ倶二脳裡二忘却スル事能ハサル災害ナリ。
直径45〜60センチ大の雹が、夏野菜や果樹などを直撃、壊滅的な被害を受けたのだ。
その後、村民たちは全力で栽培復旧をされたのだろう、悪夢の降雹だったはずが「雹害紀念塔」を建てようという思いにまで克服されたようだ。
紀念塔は、降雹の中心地、蔵屋敷の辻地に翌年3月15日に除幕したようだが、新町の区画整理が行われたことで、現在は新町御嶽神社の境内に建立されている。
近年では、昭和42年夏に大きな被害が出ていると植松先生は書いているが、小平の宮寺光政さんが高校生の時で、帰宅途中に体験していた。
青梅線に乗車中、羽村、福生間で体験したが、ピンポン玉のような雹が線路を覆ったと当時の模様を語ってくれた。
2014年07月18日
鳴子ウリが実る畑が近くにあった柏木の鳴子坂。
大久保小学校で、江戸東京野菜の話をした帰り、同じ新宿区の柏木小学校に向かった。
大江戸線の中野坂上で下車して淀橋へ下って歩いてきたところで、上り坂の「鳴子坂」を写真に収めた。
上の写真をクリックする。
神田川に架かる淀橋を渡ったところから新宿区で、
新宿大ガードに向かって(写真上左)、だらだらとした長い上り坂が、江戸期から昭和20年代まで、練馬大根を牛車に満載して京橋大根河岸に向かう農民を阻んでいた。
当時は、淀橋の辺りに小遣い稼ぎの「押し屋」が、何人もたむろしていたという。
帰りは、歌舞伎町あたりの便所掃除をして下肥を積んだ牛車が鳴子坂を下ってきて、淀橋を渡ったあたりから中野坂上に向かって登っていくが、ここでも押し屋に押してもらったと聞いている。
今日では、道路は舗装され、拡張されて、しかも超高層ビル群がそびえて当時の面影は何処にも探し出せない。
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2014年07月17日
新宿区立大久保小学校4年生に、江戸東京野菜「内藤トウガラシ」を栽培する意味を伝える。
数日前に、都市農地活用支援センターから一通の書面が届いた。
「農」のある暮らしづくりのアドバイザーとして、15日に新宿区立大久保小学校(加藤雄一校長) に派遣する」、というもの。
同校では、2010年から、4年生が地元の伝統野菜「内藤トウガラシ」の栽培をしていて、昨年もお邪魔して、江戸東京野菜のお話をした。
これまで同校からは、内藤トウガラシを収穫した後の10月以降に呼ばれていたが、今年は内藤トウガラシが生育途中のこの時期に呼ばれた。

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4年生の担任は、今年着任した浦部恵実子先生で、初めて「内藤とうがらし」の栽培に取りくんでいることから、失敗しないように支援センターに講師の派遣要請をされたもの。
同校のある大久保は、江戸の時代から、「大久保のつつじ」が有名だったことから、同校でもつつじ栽培をしている。
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2014年07月16日
早稲田ミョウガで商品開発、料理研究家の林幸子先生の指導でW商連が販売予定。
早稲田大学社会科学総合学術院都市居住環境論研究室で「まちづくり」を教えている早田宰教授が、
早稲田大学周辺商店連合会北上昌夫会長の協力の下で、「早稲田みょうが」による東北支援を行い、
それにより早稲田のまち興しにつなげた取り組みは、ご専門だけに学ぶことが多く、教えていただいている。

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