2014年07月01日

『「深谷ねぎ」の現象学』という冊子を入手した。

「強地」と「砂地」、百年の奇蹟(ミラグロ)『「深谷ねぎ」の現象学』「風土飲食研究会の小林真」ともある。

深谷市上増田在住の著者小林真氏は故郷に生まれたネギをいとおしむように書いている。



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同書によると「深谷ねぎ」という「品種」はなく、根深ねぎだという。

種のカタログには「関羽一本丸」というそれらしいものから「TSX−057」という車かバイクのようなものまでバラエティに富んだ名前があるという。

以前は砂村ねぎを栽培していたようだが、病気に弱かったことから、越谷周辺の夏ねぎの「埼黒ねぎ」とか深谷周辺の冬ねぎ「玉合ねぎ」を栽培していたようだ。

同書には、深谷ねぎがF1品種に大きくシフトしたのは1993年(平成5)年で、深谷周辺で小菌核腐敗病が流行したことが決定的だったという。 この年の流行病でほとんどのねぎが壊滅的な打撃を受ける中で、あるF1品種だけが病気と無縁だったからだという。

そもそも、深谷ねぎの東京デビューは大正5年(1916)だったというから100年になろうという産地だが、埼玉のネギ産地としては新しい。

江戸周辺では、砂村ネギから千住ネギへと時代は移ったが、埼玉の産地から江戸に入ってきたネギには、岩槻や、越谷辺りで栽培されたものだ。

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この冊子、今年の1月26日に開催された、2014年 第2回「深谷ねぎまつり」直前版とあるが、伝統種が栽培されているかには、触れていない。

2011年には、全国11のネギ産地が深谷に集まり、「全国ねぎサミット」が行われている。

現在、江戸東京野菜としては、砂村一本ネギがあり、伝統野菜としては、千住一本太ネギ、昭島の拝島ネギ、世田谷区砧の宇奈根ネギなどが栽培されている。

古い産地がF1ばかりになっている中で、今後、ねぎサミットに出ていけるような、伝統種のブランド復活を図っていかなくてはと思っている。