1997年(平成9年)に、JA東京グループ(旧葛飾農協) が、記念事業として農業にゆかりのある神社に「江戸・東京の農業屋外説明板」を建立したが、現役時代に、この企画を提案し実現した思い出のものだ。
提案は良いがどこに建てる、となった時に、神事は農業と深いかかわりを持っていると、東京都神社庁に依頼して、都内のゆかりの神社にお願いする機会を得て、建立させていただいた。
農業説明板の一覧表は、JA東京グループのホームページに掲載してある。
1830年(文政13年) の随筆「嬉遊笑覧」に「本所瓜美味ならず、本田瓜という形甚大なり」とある。
かつて、中川が、右に左にうねりながら悠々と流れていた時代、現在の葛飾区青砥の南部、立石、東立石、四ツ木、、東四ツ木、辺りを本田と呼んでいた。
本田で収穫された野菜などは、中川河畔から船で下り、中川口で小名木川に合流、そこから西に、本所を通って隅田川に出てから、上流の神田市場、下ると京橋大根河岸に荷を納めていた。
2009年8月に、探していた本田(ほんでん)ウリが足立区で見つかった。
そのことは当ブログで紹介している。
この事は、NHKニュース7でも紹介されたし、新聞にも大きく掲載されている。
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立石熊野神社は、平安時代中期の長保年間(999〜1003)に、陰陽師阿部晴明により勧請されたと伝えられ、立石村の鎮守社だったと云う。
参道の突き当りが中川にそそり立つ護岸に突き当たる。
神社境内の脇には、熊野幼稚園遊楽園があり、園児たちがポニーや植物に触れるような施設になっていた。
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