昨年の暮れ友人の坂井睦生さんから、町田の農家・鈴木喜美夫さんが、小山田ミツバを収穫している現場に立ち会っていると、電話があったことは、当ブログで紹介した。
その「小山田ミツバ」を、坂井さんは、押上「よしかつ」の佐藤勝彦さんに、贈ったことから、料理になったことも当ブログでは紹介した。
一度、鈴木さんにお会いしたいと、坂井さんにお願いしていたが、先日JA町田市の取り組みの取材と合わせて、鈴木さんのお宅に案内していただいた。
そんなところに、「よしかつ」の佐藤さんから坂井さんに電話が入った。
電話を代わってもらって、佐藤さんと話したが、今年も江戸東京野菜のお節をつくるそうで、その中に「小山田ミツバ」を使いたいという。
鈴木さんは、作業場内に掘られた室(ムロ)の中で栽培していた。
室を掘ったのは先代で、さつま芋の保存用に使っていたが、昭和28年、ふたつの室を取り込んで作業場を設けたそうだ。
その後、10年ぐらいしてミツバ栽培を始めたとか、東京オリンピックの頃だ。
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作業場内には、軽トラが入っていたがその下にも室があり、そこはウド室になっているという。
屋敷内には、最高6個の室があったそうだが、4個は埋め戻したという。
3m下にある室に梯子で降りてきたのは多摩・八王子江戸東京野菜研究会の福島秀史代表。
始めて見る光景に、盛んにシャッターを切っていた。
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