内藤トウガラシと内藤カボチャが生まれた国民公園協会・新宿御苑は、江戸時代は、信州高遠藩 藩主内藤清成の屋敷地であった。
先日、内藤頼誼十七代当主に、おもしろいお話を伺ったが、その屋敷地は広大だった。
その謂われが、新宿御苑の東、内藤町1丁目の内藤神社にある駿馬塚の屋外説明版に記されている。
清成は、三河国岡崎生まれ。徳川家康に小姓のころから仕え、家康の江戸入府にあたっては鉄砲隊を率いて先陣を務めた。
家康は、家臣達との座興と思われるが、馬術に長けた清成に・・・・。
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説明版には
「徳川家康は江戸入府後、家臣の内藤清成を呼び、現在の新宿御苑一帯を示し、「馬でひと息に回れるだけの土地を与える」と語ったという。
清成の乗った駿馬は、南に千駄ヶ谷、北は大久保、西は代々木、東は四谷を走り、疲れ果て死んでしまったので、大樫の下に埋めたと伝えられている。
後に、内藤家の森林の管理役となった中家休昌と木下正敷が文化十三年(1816) 八月に樫の古木の後に塚を造り、駿馬塚の陽を建てた。
碑はその後、明治五年(1872) 九月に現在地に移されたものである。
平成五年十一月 東京都新宿区教育委員会」とある。
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