2017年01月31日

鴎外ゆかりの館から、上野の山で明治の俳人・正岡子規ゆかりの地に佇む。


先日、上野池ノ端の水月ホテル鴎外荘で、江戸東京野菜の懐石料理の試食会が行われたことは、当ブログで報告した。

これまで、何度か同ホテルに伺ったが、千代田線の根津駅で下車していた。
同ホテルは、上野東照宮の裏にあたることから、上野駅の公園口から、公園内を北に歩いて、花園稲荷神社の参道から動物園通りに出て、水月ホテルに向かった。

園内には途中、観光資源がたくさんあって、ホテルまでが意外に近く感じた。




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鴎外荘からの帰り道、動物園通りから、もと来た道を上野駅に向かったが、来るときは気が付かなかったが遠くに野球場見えた。

よく見るとレフト側に入口があって、正岡子規記念球場とある。

上の画像をクリックする
球場入口近くに上野公園管理事務所があったので、
記念球場の事を聞いてみた。
サード側の通りに面して、記念碑があると云う。

子規は、鴎外(1862〜1922)より5つ年下だが、
同じ文学の世界で同時代に活躍している。

「春風や まりを投げたき 草の原」

「正岡子規(1867〜1902)・・・・子規は、明治時代のはじめに日本に紹介されて 間もない野球(ベースボール)を愛好し、明治19年頃から同23年頃にかけて上野公園内 で野球を楽しんでいた。

子規の随筆「筆まかせ」には、明治23年3月21日午後に 上野公園博物館横空地で試合を行ったことが記されており、子規はこのとき捕手で あったことがわかる。・・・

上野恩賜公園開園式典130周年を記念して、ここに子規の句碑を建立し、 野球場に「正岡子規記念球場」の愛称が付いた。 平成18年7月 台東区・台東区教育委員会」とあった。

因みに、「日本野球発祥の地」は、学士会館の地だったことは、追録で紹介したが、野球は明治5年に導入されている。

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posted by 大竹道茂 at 00:37| Comment(0) | TrackBack(0) | その他関連情報