テレビマンユニオンの細村舞衣ディレクターから電話をもらった。
「江戸東京野菜の食材に秘められた人類の食に関わる文化の歴史。あるいは食材が生み出されるための手間とヒマ。
そして、食べる側から言えば、ひとつの食材を手に入れるための喜びの総体。
そうした「食材」の中に流れる時間を語り映像化したい」と・・・・・
これまでも電話での依頼はお手伝いはしていないが、テレビマンユニオンとは何度も一緒に仕事をしているので、お会いして打ち合わせをさせてもらった。
提案されたのは、練馬ダイコンと馬込大太三寸ニンジンで、紅白の対比も綺麗な江戸東京野菜だ。
西馬込駅で、9時半に待ち合わせをして、細村さんの他、鴨下満さんと、二階堂茜さん。
撮影素材として、平成8年にJA大森が建立した、記念碑を紹介。
第二京浜沿いの「大田区立ライフコミュニティー西馬込」の敷地内に設置されていて、碑の裏には、馬込半白胡瓜と、馬込大太三寸人参の由緒が記されている。
平成8年、建立祝賀会に招かれた当時の写真が残っていた。
馬込大太三寸人参の由緒
古来、馬込の周辺では、砂村三寸と川崎三寸(西洋種)が栽培されていたが西馬込の篤農家河原清吉らにより、砂村三寸と川崎三寸を交配して、それぞれの長所を受け継いだ、大形で形・色のよい人参に改良され固定された。
昭和25年、大森東部農協(組合長 高橋正夫氏)が「馬込大太三寸人参」の名称で農林省に種苗登録し以後、馬込の特産品となった。
農協では農家が採種した種子を買い上げ、宮内庁の三里塚牧場をはじめ、全国に販売した。また、この時期を境に人参栽培は急速に普及した。
馬込で人参栽培が盛んであったのは、昭和38年頃までで、農地の宅地化とともに除々に減少した。
大田区のご好意により建立 平成8年3月吉日 JA東京大森
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