2018年12月30日

江戸で食べられていた江戸辛味大根の復活が始まったと、収穫された大根をいただいた。


江戸東京野菜の早稲田ミョウガや千住一本ネギを栽培している、練馬の井之口喜實夫さんから、江戸辛味大根をいただいた。

辛味大根だそうだが立派な大根だ。
栽培の経緯について伺うと、浅草葱善の田中庸浩社長から種をいただいたもので、初めて栽培したものとか。

辛味大根は、やせ地で栽培されるが、井之口さんの畑は堆肥がたっぷり入っているのと、今年の異常気象、12月初めまで暖かったから、大きくなったようだ。





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この大根には、物語がある。
 
「粋な辛さ江戸辛味大根                     
享保年間(1716〜1735)江戸浅草柴崎町、道光庵の庵主(信州長野出身)は、蕎麦うちの名人といわれ、鰹だしの代わりに〈辛味大根〉をおろして蕎麦を振舞いました。蕎麦めあての人が、信心にかこつけて連日門前に列をなし、「江戸評判記」では、蕎麦処の筆頭に拳げられるまでになりました。

当時、市中で辛味大根を自家で栽培するまでに流行ったと言いますから「蕎麦に辛味大根」は、江戸の粋な作法として定着していたと、言えます。
確かな目で選んだ農地で、確かな人が育て、厳選された「辛味大根」」
とある。

田中社長は浅草葱善としても、浅草時代の極楽寺道光庵の庵主が辛味大根で食べさせたということから、復活を願って栽培を依頼したもの。

この道光寺は、関東大震災で、世田谷区烏山に、他の寺と一緒に移転して、一心山称往院極楽寺がある。 

この寺は、世田谷区教育委員会調べによると「慶長元年(1596)白誉称往上人により湯島に創建されたが、明暦の大火で浅草に、さらに関東大震災により昭和2年当地に移転した。浅草のころ当寺は、寺内の道光庵庵主のつくるそばが有名となり「そば切り寺」として知られたが、修行の妨げになるとして天明6年(1786)「そば禁制」の碑が当寺住職により建てられた。
この碑は同庵にあった俳人宝井其角の句碑・墓とともに現在、当寺に残されている。」
とある。

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井之口さんのハウスでは、採種するための取り組みが行われていた。

辛味大根の食べ方の資料も添えてあった。


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posted by 大竹道茂 at 19:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 粋な江戸っ子は白首大根

テレビで見た伝統小松菜の生産者を訪ねて、本場東小松川に行ってご縁を紡いできた。


夕方のニュース番組、日テレのnews everyを聴きながら仕事をしていた。
江戸川区の小松菜農家が紹介されていたが、その生産者が江戸東京野菜のごせき晩生小松菜だと云うので、驚いて画面を見た。
栽培しているのは東小松川の石井睦子さんと息子さんの嫁・直美さんだと紹介していた。

江戸川区で小松菜と云えは交配種だが、伝統小松菜を栽培している農家は、鹿骨の木村重佳さんと、バスツアー用に、中代正啓さんが少し作ってくれている程度だったので、「あった!」と嬉しくなった。

直接会ってみようと、足立に事務所のある青果商・果菜里屋の高橋芳江さんに連絡して車を出してもらった。
高橋さんには北足立市場にも連れて行ってもらっている。

石井さんのお宅は小松菜の碑のある新小岩の香取神社から南へ1.5キロほどの所だ。





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睦子さんは、来客中だったので、畑を見せてもらって待つことにしたが、3棟のハウスの内、1棟に伝統小松菜が育ていた。

伺うと、前は日本橋ゆかりや、三國シェフの所にも納めていたという。何でも木村重佳さんのグループとしてやっていたが、手が無くて負担になってきたので、今は直売方式に切り替えたという。

おもえば、2014年に当ブログで紹介していたが、お会いしたことが無かったので名前を聞いただけでは分からなかった。
ブログには品川カブを出荷してもらったとある。

高橋さんが、伝統小松菜を分けてもらいたいとお願いすると、
「大きくなってしまったが!」と云っていたが、季節の伝統小松菜は規格はあるようでないからと、高橋さんは30束をお願いした。
石井さんにしたら、ひと仕事だったが、収穫してくれた。



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posted by 大竹道茂 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 江戸東京野菜と生産者達