2019年01月20日

母校のある目黒に旧友が集まるという案内をいただいていたので出かけた。


久しぶりに目黒に行く機会が出来た。
小学校(目黒区立油面小学校)の旧友も少なくなったが、幹事長の股野道夫さんが、目黒駅近くの中華料理店「香港園」を会場にしてくれていた。

我々の時代は50人の6クラス、1年から6年までクラス替えが無かったから、結束が強く、定年後、股野さんが幹事長になってからは毎年のように開催している。

目黒については、これまでもブログに書いてきたが、江戸時代は墨引きされた地域であった。





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権之助坂の途中、目黒川に掛かる目黒新橋の袂の国旗掲揚台に表示されている江戸時代からの旧町名「下目黒」は、現在目黒1丁目になっている。

上の画像をタップする

江戸の地域を明確にする「朱引き」と、町奉行の支配地「墨引き」を見ると、目黒は、朱引きの外だから、江戸ではなかった。
江戸市民の信仰が篤い目黒不動には参詣者が多く、目黒は江戸の外だが町奉行の支配地になっていた。




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posted by 大竹道茂 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | その他関連情報