2019年11月26日

調べ物があって荒川ふるさと館の学芸員に会ってきたが、三河島菜が地域に定着しているのを実感した。


先日、荒川の伝統野菜について調べることがあったので、荒川ふるさと文化館の学芸員の先生にお願いして時間を取ってもらった。

10年も前に一度来ているので、南千住から歩いて伺ったが、北風が強いく急に寒波が来たような日だった。





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荒川ふるさと文化館の入り口のたたきに、
トリックアートが描かれていた。
見る角度によっては、
千住大橋を渡る松尾芭蕉と弟子の河合曾良が立体的に見える。

上の画像をタップする
松尾芭蕉が「行く春や 鳥啼き魚の 目は泪」の句を詠んで
元禄二年、千住大橋を渡り「奥の細道」の旅へ出発した。

今年は、この旅立ちから330年の節目の年だということと、
8月に同館のリニュアルにあわせて
東京芸術大学の学生がトリックアートを描いてくれたという。

学芸員の亀川さんに前もって依頼していた件は、
資料を用意していただいて、お話を伺ったので、よく理解できた。

江戸東京野菜は、江戸からの歴史文化を今に伝える野菜だから、

現在、荒川区の名前がついているものは、
青茎三河島菜、三河島枝豆、汐入ダイコン、谷中ショウガで、
復活がして、地元荒川区の小学校をはじめ、区民も栽培していて、

農家としては練馬区をはじめ多摩地区で栽培されている。

江戸東京野菜は貴重な文化遺産なんです、
とお話をしたら、亀川学芸員も共通認識を持っていただけた。




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posted by 大竹道茂 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 里帰りした三河島菜