2020年06月10日

杉並にあった蓼藍産地の物語。「井草の藍」の作柄が、東京の藍相場を左右した時代があったという。


藍染の半纏は粋なもので、江戸東京野菜の復活普及を始めたころ、日本橋祭りが橋上で行われたが、

京橋の大根河岸で生業を立てていた青果業者のグループ「京橋大根河岸会」の皆さんが、藍で染め上げた「大根川岸」の長半纏を羽織っていた。





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京橋大根河岸会」の石川勲会長(東京中央青果先代社長)がお元気なころ、大根河岸青物市場の話をお聞きした。

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キッコーマン主催の「大人の食教室」の講師を依頼されたときに、お借りした。
その後、高円寺の「うおこう寄席」では、自前の「睦」半纏で江戸東京野菜を紹介している。


平成18年に、金子丑五郎が育成した「金子ゴールデン」の記念碑を建立した時に、金子さんのご親戚で杉並にお住いの浅賀喜一氏(藍屋興行株式会社先代社長)から、「井草の藍」の資料をいただいていたが、書類を整理していたら
出てきた。

先日は、鮎蓼を紹介したが、今度は同じタデ科の蓼藍だ、

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posted by 大竹道茂 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | その他関連情報