2020年08月17日

8月16日(日)、9時30分から文化放送「浜美枝のいつかあなたと」で金子ゴールデンビール麦茶が放送された。


文化放送の長寿番組の一つ「浜美枝のいつかあなたと」の
”浜美枝の良い食と共に” で金子ゴールデンビール麦茶が、
が放送された。

ゲストはJA東京あおば 地域振興部 池邉玲さん。




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上の画像をタップすると番組が聴ける。

池邉さんは、浜さんとのトークで、
金子ゴールデンビールについても紹介している。

2011年、金子ゴールデンビール麦茶のきっかけはここから

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多摩川から取水する玉川上水は、江戸市民の飲料水ばかりが、分水して農業用水は田畑を潤した。


秋川霊園から実家までの行程中に、羽村の堰がある。
羽村の堰と云うとそこから
玉川上水は江戸市民への飲み水を供給していたが、
途中分水して武蔵野の農村地帯にも引かれ田畑も潤していた。

玉川上水が造られたのは、江戸も三代将軍家光の時代で
江戸の人口は増えて、このままでは飲み水が不足するようになる。
そこで、老中松平信綱は町奉行の神尾元勝達に
水量が豊富な多摩川から江戸に上水を引く計画を立てさせる。





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玉川兄弟の像の台座の裏に碑文があった。

上の画像をタップする

碑文を書き写してきた。
多摩川の水を江戸に引く工事を請け負ったのが庄右衛門と清右衛門
の兄弟だった。
水利や地形にも詳しかったが、辛苦を重ねた。
完成間際、日野を取水口にしたが通水に失敗、上流の福生に
取水口を移したがここでも失敗、更に上流の羽村に取水口を移し
ようやく江戸の四谷大木戸まで多摩川の水を引くことができた。

承応2年(1653)から工事が行われ6ケ月で開通した。
ブルドーザーなどない時代、尾根筋を43`、標高差100bたらず。
高い技術で、江戸市民の飲用に供した。

これにより、幕府から褒美として「玉川」を名乗る事が許された。


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