小松菜は、文政11年(1828)の「新編武蔵風土記稿」には、「菘(な) 東葛西領小松川辺の産を佳品とす。世に小松菘と称せり」とあるように、江戸川の小松川周辺で生産される冬の地方野菜だった。
しかし、日中国交が正常化した昭和47年以降に、各種の中国野菜が導入されると、小松菜の交配に使われ、一代雑種が発売され、北海道から沖縄まで、周年栽培が可能となった。
交配種は、色が濃くなり、茎が太くなったことから、形も味も、旬の時期も変わってしまったが、
変わらないのは「小松菜」の名で「昔の名前で出ています。♪〜」(笑)なのだ。
昔から命がつながる固定種の小松菜は生産量も少ないことから、中国野菜との交配種と明確に区分するために「伝統小松菜」として、「ごせき晩生小松菜」や「城南小松菜」が江戸東京野菜に登録されているが、
柏木小学校で栽培していた早生の「丸葉小松菜」もある。
練馬区平和台で、江戸東京野菜を栽培している渡戸秀行さんを訪ねた。12月に渡戸さんが計画している「江戸東京野菜の収穫体験山分け」の実施に向けて、7-8種類の江戸東京野菜の栽培状況が見たくて伺ったもの、
伝統小松菜は、何回かに分けて、収穫期を変えて栽培していた。
続きを読む