2021年03月10日

「亀井戸白瓜」のタネ袋を、大阪の武田さんから送って頂いた。


先日、大阪で江戸東京野菜などの栽培を行っているという、武田健太郎さんに貴重な資料を送って頂いた。

亀井戸白瓜のタネ袋で、初めて見るものだった。
「江戸東京ゆかりの野菜と花」執筆者のひとり大城芳彦先輩に、タネ袋の写真を送って伺った。

大城先輩が知っているのは、昭和20年代の江戸川の、鹿骨、新堀地区が果菜類の産地で、越瓜(白瓜)などを栽培していたが、それは戦後のことで、それ以前は、先日送った「南葛飾郡農会史」に、掲載されていると、教えていただいた。

江東地区の都市化は早かった。大正11年の資料では、亀戸町、寺島町、大島町、吾妻町、砂町、隅田町、本田村、小松川町の地域に、東京市の工場などの大部分が集中していた。

染織工業、機械工業、化学工業、食品工業など、大中小の工場が農地を侵食していった。



亀メイド白瓜.jpg

亀戸は、大正の頃から工場ができ始め、戦後の30年代から商業地帯に移っていった。
大城先輩から頂いた「南葛飾郡農会史」によると,大正11年に小岩村三谷の鹿野巳之吉さんの話が掲載されていて、明治25年に亀戸横十間川通りの農家・重左衛門より種子を買ったとある。

上の画像をタップする。

武田さんが調べてくれた亀井戸白瓜は、亀戸ではなく、亀井戸大根と同じ、昔の「亀井戸」を使っている。

「南葛飾郡農会史」には、越瓜(白瓜)が亀戸で栽培されていたのは明治期以前からで、昭和3年瑞江村(現江戸川区)の農家岩楯泰利さんは、「越瓜は砂町方面(亀戸)で昔から作られて市場に出荷せられ名声を博していましたが、

同地方は住宅地の膨張に従い、栽培面積は縮小し、新しく瑞江、松本、鹿本の各方面で栽培されるようになりました。
わが瑞江村方面で旺盛になりましたのは20年来(明治40年から)です。」と語っている。
その後、江戸川から、葛飾区の奥戸地区に広がっている。
トキタ種苗が、葛飾区の農家から取り寄せとあるのはこれで

「亀井戸白瓜」の名で、余蒔としても栽培されていた。

これも、江戸東京野菜の登録候補である。

武田さん、ありがとうございました。
posted by 大竹道茂 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | その他関連情報