2021年08月11日

昭島市に今も残る水田を潤している立川用水は、新たに多摩丘陵幹線のバックアップ機能を有している


昨年、玉川上水の取水口、羽村を紹介したが、承応3年(1654)に玉川上水は完成した。

羽村より下流域に、玉川上水の完成以後、多摩川の水が、上水南部の水田や農地を潤していた。

昭島市拝島町5丁目近辺に「9ケ村用水取水口跡」がある。
9ケ村は、上流から拝島村、田中村、大神村、宮沢村、中神村、築地村、福島村、郷地村(以上現昭島市)、そして柴崎村(現立川市)を流れた。





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明治44年(1911)に、取水口として樋菅が構築された。

しかし、東京市の人口増加に伴って、狭山丘陵の谷を生かして昭和2年にダム湖の村山貯水池を完成させ、羽村の取水堰で取り入れた水を導水管で村山貯水池の上湖に入れた。



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posted by 大竹道茂 at 00:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 農のある景観と環境