上野から西日暮里へは谷中の山が壁のように連なっているが、
西日暮里駅の上に道灌山があり、その崖下は明治15年に上野から
熊谷間に鉄道が敷設されたことから、水田や畑は
鉄のレールの下に埋没してしまった。
峡田当たりでは三河島菜も栽培されていた。
崖下は、台東区の谷中ではなく日暮里で荒川区だ。
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道灌山からの水田地帯の景観は廣重の版画に残っているが
道灌山下の様子はこの版画に限る。
鉄道が敷設される前は、谷中の山から湧き出る湧水は小川となった。
ハガキ大の絵だから良く分からなかったが、よく見ると、
谷中の山から湧き出る小川で、大根を洗っている。
この大根、隅田川流域の汐入地区で栽培していた、汐入大根のようだ。
洗い終わった大根は馬に乗せて千住の市場に行くようだ。
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