野菜と漬物の記録があり、野菜文化史センター代表久保功先生が
講演をされたことは紹介したが、
今回は、「拾遺都名所図會」の資料を送って頂いた。
水菜のを川で洗って、出荷する前の様子が描かれている。
「拾遺都名所図會」は、天明七(1787)年秋に刊行されたもので、
本文は京都の俳諧師秋里籬島が著し、図版は大坂の絵師竹原春朝斎が
描いた墨摺五冊本と聞いている。
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「二百年前の水菜洗い」久保功
江戸時代天明七年刊行の「拾遺都名所図會」の伝える洛中壬生の
水菜を穫り入れて、水洗いしている風景である。
壬生狂言で有名な壬生寺のそばを流れる「壬生川」は現在壬生川通り
として水の代わりに車の流れが多い幹線道路となっている。
この絵から見ると水菜は当時かぶが肥大している品種であることが
よく判る。
絵の説明文にも見られるように、その細い葉が六百本にも千本にも
増えるところから「千筋蝉菜」とも言われていたようである。
アブラナ科植物は全般に生命力が強く.泥付きの水菜を桐箱に密閉
して二十日、三十日かかる遠方に送り、これを開けて水を注げば
元通り生育すると文中にあるのはオーバーにしても、
活きのいい菜であったことは今も変わりない。
縞模様の帯をした農夫が水菜の出来具合を褒められたのに気をよくして
「これ一つ持ってお行きやす」とか言って旅の老夫婦に水菜一株を
進呈しているのがほほえましい。
その脇ではキセルを腰にさしている農夫が洗っている水菜に虫でも
ついているのか、丁寧に一本一本選別しているようである。
雑種交配でこの水菜から分化したのが丸長葉の「みぶ菜」と
いわれている品種である。
これは主として漬物用に使われており
(千枚漬とセットになっているが単独でも漬けている)浅漬けの他、
二月、三月になるとひね漬用に糠を加えて、
古みぶ菜として漬け込まれる。
縞模様の帯をした農夫が木桶を履いているが、江戸ではセリの
収穫に、足立あたりではいていた。
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