NPO法人ミュゼダグリと(一財)国民公園協会 新宿御苑のコラボで「あっぱれ野菜! SUTUDY & CAFÉ」が、先日、新宿御苑のレストランゆりのきで開催された。
「新宿御苑の歴史の勉強と大正時代の宮中晩さん会の夏メニューを食べる」と云うことで、当ブログでもご案内したが、定員の30名は早くから埋まった。
初めに「SUTUDY」は、
同財団の本荘暁子さんが「内藤新宿試験場と福羽逸人」〜現代に受け継がれる知られざる新宿御苑の歴史〜について講演された。

今年の2月に開催された「SUTUDY & CAFÉ」ては、新宿御苑の祖 福羽逸人の功績のお話を伺ったが、今度は、各論でお話を聞きたいという参加者の希望が主催者サイドに寄せられていた。
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主催者として、納所理事長の挨拶で始まった。

お話によると、御苑は、明治5年(1872)に、大政奉還された後の内藤家邸地と周辺地17万坪を明治政府が買い上げ、大蔵省勧業寮出張所「新宿試験場」として開設された。
明治7年(1874)には、農事修学所を設置し、教育指導を開始している。
農事修学所はその後、駒場農学校となり、現在では、東京大学農学部、東京農工大学農学部、筑波大学生命環境学群生物資源学類へと発展している。
また、同年、三田四国町(現港区)に分園を設け「三田培養地」として開設した。
明治9年、内幸町に製糸試験場を移設して工員を養成しているが、帝国ホテル前にはそれを裏付けるように、明治17年には農産陳列所、蚕病試験場が設置されている。
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本荘さんは、何冊かの蔵書を持ってきて、それを元に話された。
大日本農会三田育種場が刊行した「舶来果樹要覧(明治17年)」、「舶来穀菜要覧(明治19年)」、「穀菜辨覧(前編)」、福羽逸人著「蔬菜栽培法」の中から、興味深い話をされ。
分園の「三田培養地」は、明治10年に「三田育種場」に改称した。
敷地面積5万4千坪、栽培品種約70種300品種で、競馬場も設けられていた。
事業は、栽培研究の他、種苗の販売、頒布会の開催、精良品評に拡大し
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「穀菜辨覧(前編)」は、種苗ごとに絵と説明が書かれ、1枚1枚が種苗販売の絵袋として使われた。
寺島ナスのような形状のナスが描かれている。
「舶来果樹要覧(明治17年)」、「舶来穀菜要覧(明治19年)」、によると、明治時代に外国から入った作物はたくさんある。
特に、野菜は固定種で現在に伝わる物も多く、明治以降東京の産物となったものなどあるか、調べていきたい。

本荘さんは1時間にわたって、御苑に伝わる資料を基にお話し戴いたが、「穀菜辨覧(前編)」の、みかえしに書かれた
江戸東京野菜の復活・普及の取り組みに当てはめると、
まさに、言い得て妙だ。
これまで、本荘さんにはいろいろと協力を頂いていて、
三田育種場の営業案内(カタログ) を見せていただいたことがあったが、江戸東京野菜の研究においても活用させていただいていて、青茎三河島菜の発見にも結び付いている。
舶来穀菜要覧に掲載された三田育種場正門の絵を見せていただいたことから、それを元に、三田育種場の跡地を歩いたこともあった。