江東区立第五砂町小学校(齋藤和子校長)の4年生は、26日、「砂村一本ねぎを復活させよう」〜砂町ゆかりの野菜を知ろう〜の、総合的な学習が行われた。
同校では、2010年9月に、地元の伝統野菜・砂村一本ネギの栽培が始まった。
授業の初めに、齋藤校長は、
昔、この土地で栽培されていた砂村一本ネギを勉強します。
・・・大切な種を、5年生が絶やさないように育ててきました。
今度は、皆が種まきをして、育てる番が来ました。
・・・砂村一本ネギを育てることは、命を育むことにつながります。」と。

同校は、銭元真規江栄養教諭が、地元の伝統野菜を栽培したいので、協力して欲しいと会いに来てくれたのが始まりで
2011年8月から、その年採れたタネを、5年生が後輩の4年生に贈呈すると云うセレモニーが始まった。
創立60年を迎えた同校。砂村一本ネギの栽培は5年目、贈呈式は4年目と、五砂小の伝統になりつつある。

恒例の贈呈式には、5年生の代表4人が、4年生の授業に来て、種の贈呈を行った。
「僕たちは、砂村一本ネギを大切に育ててきたので、4年生も大切に育ててください。」
「ネギの勉強をして、大切に育ててください。」と、手渡した5年生。
それを受けて4年生は、
「毎日お世話をして、大切に育てます。」
「五砂小の伝統なので、頑張って育てます。」などと宣言した。
江戸時代、同校のある砂町地域は「砂村」と呼ばれていて、江戸における野菜の先進地となり、促成栽培なども行われていた。
幕府は、摂津(大阪)などから農民を呼び寄せ、遠浅の沿岸を干拓した。
摂津の農民によってネギ(葉ネギ)栽培が始まったころの話だが、摂津より江戸は寒かったのか、霜枯れ病にかかって枯れてしまった。
しかし、根を掘り出してみると、白い部分は甘いことから、根深栽培の方法を考案し、白い軸の長いネギを育てることになった。
砂村で栽培されたネギは「砂村一本ネギ」と呼ばれるようになり、その後、栽培地域が隅田川流域の千住付近に広がり「千住ネギ」のルーツとなった。
銭元先生からいただいた資料には
江東区・砂町地域の歴史を学習する中で、今年度も4年生が継続して栽培することで、地域により興味・関心をもち、伝統野菜を復活させることが野菜をより身近に感じさせ、進んで食べようとする気持ちを育てていきたい、さらに種から育てることで命のつながりも理解して欲しいと考えた。とある。

同校の隣にある江東区立第二砂町中学校卒の木内茂二さんが、昨年、私のブログを見て、五砂小が、砂町一本ネギの栽培をしていることを知り、是非、授業を参観したいという。
そこで銭元先生から、齋藤校長の了解を取り付けていただき、参観された。
以後、木内さんは時々五砂小を訪ね、生育の手伝いをされてきた。
そんなことから、前任のボランティア・藤浪三男さんに変わって、今年から栽培のお手伝いをされるようになったが、藤波さんは稲の栽培指導をされている。
今年の4年生は4クラス130名。東京オリンピックが決まったことで、江東区には高層マンションが建設されるなどで。ここ数年児童は、増加傾向にあるんだとか。
上の写真をクリツクする
足立区で「紫芽」を栽培している荒堀安行さんから、足立区の伝統野菜「千住ネギ」を、地元小学校で復活栽培をしたいと相談を受けた。
それでは、五砂小での取り組みをご覧になったらと、お誘いしたら、足立区産業振興課農業係の白田正博係長をはじめ、係員と一緒に見えて、シャッターを盛んに切っていた。

同校が実施している、種の贈呈式は、交配種ではできないセレモニーで、固定種の伝統野菜ならではのもの。これまで、数誌に写真と共に掲載してきた。
最近、種を採り、次の年度に繋げる取り組みをしている学校も増えつつあるが、セレモニーを行っている学校はまだ少ない。
このような取り組みを増やしていきたいことから、メディアに連絡したら、数社が取材に来てくれた。
食の情報を動画配信をしている、フードボイスの新田真一社長が来てくれた。
いずれ、配信された時は当ブログで紹介する。
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もう1社は、読売新聞東京本社編集局社会部の高梨しのぶ記者で、
「とれたて!東京野菜」
「児童が育てる 砂村ネギ」「"郷土学ぶ食育" 小学校で種まき」の記事が27日朝刊都民版に掲載された。
また、「伝統野菜」の書籍を発行予定のGB編集部 中尾祐子さんも「江戸東京野菜」が、教育に果たす現状を、取材に来てくれた。
尚、同校では事前に、ご父兄に取材が入ることを連絡して、4クラスとも生徒の写真撮影の了解を取っていた。
また、この度は、「農」のある暮らしづくりのアドバイザーとして(一財)都市農地活用支援センターから派遣されたもの。