四百年の時を越え新宿に蘇った伝統野菜 「新宿内藤とうがらしフェア」が、9月30日(火)〜10月5日(日)まで、新宿区四谷区民センターをメイン会場にして開催された。
当初、新宿御苑がメイン会場となっていたが、「デング熱」で、9月中は同苑の閉鎖が決定。
とうがらし関連のセミナー、内藤とうがらし料理、内藤とうがらし加工品販売、江戸東京野菜の販売は中止となってしまった。
10月4日を「とうがらしの日」と定め、その前後1週間、「とうがらし」をはじめ、新宿区の伝統野菜をテーマにして、新宿の新しい観光、歴史、文化、物産を紹介するフェアとして予定されていたが、大幅な縮小を余儀なくされた。
今回のフェア開催に当たっては、NPO法人おいしい水大使館の成田重行代表が、各組織の連絡調整などに奔走された。
しかし、各学校での江戸東京野菜の取り組みについては、展示したいということで、それから会場探しで、
新宿御苑に近い「四谷区民センター」が、予約できたことは奇跡的だ。
規模は、縮小したものの、30日関係者が集まってセレモニーが行われた。
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主催者代表として、成田先生(写真右上)がフェアの主旨等を述べて開会の挨拶を行い、引き続き進行役に回って会を盛り上げた。
内藤とうがらしに内藤かぼちゃは、新宿御苑の前身、高遠藩主内藤家の下屋敷で生まれた伝統野菜。
そこで、主賓として内藤家の17代当主の内藤頼誼氏(写真左上) が挨拶に立った。
初代内藤清成は、20万坪を家康から拝領したが、新宿御苑大木戸門近くに屋敷があり、玉藻池が庭だったという。
西の方は、広すぎて、何軒かの小作人に野菜を作らせていたというから、そこから内藤とうがらしや内藤かぼちゃが生まれたのだろうという。
同志社大学大学院教授の加藤千洋先生が、「辣の道」(平凡社)に、朝日新聞記者時代の先輩、内藤氏の事も書いている。
皇居外苑、京都御苑及び新宿御苑を維持管理する国民公園協会からは山口学総務部長(写真上中)がご挨拶。
国民公園協会には、皇居外苑の楠公レストハウスの安部憲昭総料理長にお世話になっているし、新宿御苑では伊藤秀雄総料理長が、晩餐会メニューを再現してくれている。

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−般社団法人 新宿観光振興協会の菊地加奈江事務局長(写真上左)、新宿区からは文化観光課の橋本隆課長(写真下左)
また、伊勢丹新宿本店長の鷹野正明氏(写真上右)は、、内藤トウガラシを使ったオリジナルフードを取り揃えていると紹介した。
また、成田さんからのご指名で、乾杯の発声を依頼されたが、新宿の伝統野菜が各小学校等で取り組まれ、次代に引きつく命の教育を実施していることを紹介し、内藤とうがらし入りの「アペタイザー」で乾杯した。
新宿御苑の伊藤秀雄総料理長が今回のイベントは楽しみにし、料理作りに張り切っていたが、閉鎖ではしょうがない。
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乾杯の、内藤とうがらしに、谷中しょうがのアペタイザー。
また、内藤とうがらしと伝統小松菜のスコーンと、内藤とうがらしと内藤かぼちゃでスコーンを作ってくれていて、参加者に配られた。
四谷地区協議会の田中健士さんが、とうがらし売りの格好で、七色とうがらしを配布した。
最近は「七味」の表現が多くなったが「七味」は関西の表現で、江戸では「七色」と云われていて、内藤とうがらしの「焼きとうがらし」は、こだわってご自身で焼いて、再現をされているそうだ。
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戴いた缶入りとは別に、ははトンとちちトン、口上も入っていた。
生産者も集まった。
早稲田ミョウガの生産者、井之口喜實夫さんは、大ぶりの早稲田ミョウガを生けてくれた。
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八王子の高倉ダイコンの生産者・立川太三郎さんは福島秀史さん(多摩八王子江戸東京野菜研究会代表)と参加た。
国民公園協会新宿御苑からは本荘暁子さんと正田武士さんに梅澤美帆さんはスタッフとして・・・・・、
江戸東京・伝統野菜研究会の由井和也さんも会場づくりに参加。
府中市の石川孝治さんが、鳴子ウリとして提供してくれた。
会場には、
江戸東京野菜の授業をした学校が取り組み成果を張り出していた。
共催;、環境省新宿御苑管理事務所、−般社団法人 新宿観光振興協会、
一般財団法人国民公園協会新宿御苑、NPO法人おいしい水大使館
後援:新宿区、
協力:江戸東京・伝統野菜研究会、豊前市(福岡県)