これを記念して、先日、千代田区北の丸公園にある東京国立近代美術館2階に併設されているレストラン
「スイス親善大使 三國清三と過ごす特別ディナー」
が開催された。
先日、三國清三シェフのお祝いが、ザ・プリンスホテルパークタワー東京で行われ、三國シェフの生い立ちが写真で紹介されていたが、
帝国ホテルのパートとして修行中、村上信夫総料理長に見込まれ、20歳で駐スイス日本大使館の総料理長として赴任した。
このことは村上シェフが著書の中で書いている。
スイスから、三國シェフの料理人としての飛躍の人生が始まっている。
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特別ディナーは、北海道上川町の大雪高原旭ヶ丘にオープンした「フラテッロ・ディ・ミクニ」の安住正弘支配人の司会で始まった。
初めに、ウルス・ブーヘル駐日スイス大使が親しくご挨拶
「スイスと日本の間で修好通商条約が調印されて以来、両国は、文化・経済の交流を着実に発展させてきました・・・。」
また、東京国立近代美術館の加茂川幸夫館長は、自己紹介で「『ラー・工・ミクニ』に併設されている東京国立近代美術館館長の加茂川幸夫です。」と会場を和ませた。
日本・スイス国交樹立150周年記念として、独立行政法人国立美術館では、現在上野の国立西洋美術館で「フェルティナント・ホドラー展」を実施していることを紹介し、
当美術館では、三國シェフのアドバイスもあり、所蔵作品の中からスイスに関連する3人のアーティスト、パウル・クレーと、ジャン・デュビユッフェ、そしてアルプの作品をMOMAT3階6号室に展示していると・・・。
美術館とレストランの関係については、優れた芸術を鑑賞した後の寛ぎの場として切り離せない関係にある。とも・・・。
当日の案内には、「ドレスコート カジュアル」とあった。
ホストの三國シェフもいつも見馴れたコックコートではなく、カジュアルなジャケットで
襟には、東京オリンピックの顧問会議メンバーに就任したことで、東京オリンピック組織委員会のバッヂとフランス共和国国家褒賞オフシエのローゼットを付けていた。
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同レストランは、東京の食材を使って「地産地消をアートにする」をコンセプトに、2012年10月16日にオープンし、その後開かれたオープニング レセプション パーティに招かれた。
今回も、江戸東京野菜の取り組みを立ち上げた渡邉和嘉さんと一緒に招かれたが、三國シェフのご配慮で、席が隣と云う破格の対応をしていただいた。
主賓のウルス・ブーヘル駐日スイス大使ご夫妻の前が、スイスワインの蔵元 ピエール・ウーヴィエ氏と通訳で、その隣がホストの三國シエフという位置関係だ。
写真左上、駐日スイス大使夫人と話す三國シェフ
また、江戸東京野菜コンシェルジュで野菜と文化のフォーラムの草間壽子さんと高橋芳江さんも見えていた。
「スイスと言えば、言わずと知れた現代フランス料理界の
天才と称される料理人で、
三國の師でもある『フレディ・ジラルデ』の出身地。
ジラルデを尊敬する三國が選りすぐったジラルデのスペシャリテを、
ラー・工・ミクニ風にアレンジし特別にご用意致します。
三國シェフと共に、楽しいひと時をお過ごしください。」
とあった。
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お席には、透き通った素材の細長いお洒落なメニューが、
名前入りで置かれていた。
グリーンアスパラと北海道産雲丹のフラン
フランス料理の武者修行は、スイスのジュネーブからスタート・・・。
スイスでの生活も半年が過ぎ大使館の仕事にも慣れてきた時、折角ヨーロッパに来たのだから最高峰のフランス料理を学びたいと・・・、
その頃、隣のローザンヌに近いフランスとの国境沿いの山村にある「オテル・ドゥ・ヴィル」のオーナーシェフ、ジラルデの料理が話題になっていて、三國シェフの耳にも入ってきたと云う。
鵞鳥のフォアグラのショーフロア
ピーツソース
三國シェフはジラルデの第一印象を、
銀髪で背の高い男で、眼光鋭く獲物を射るような目つきだったという。
三國シェフは 彼が放つオーラに強く魅かれ、いきなり「使ってください」と頼み込んだのだと云う。
しかし、けんもほろろで、相手にされなかったが、持ち前の度胸と粘りで帰らず何度も頼みこんだ。
ジラルデも根負け、了解を取り付けることが出来たと云う。
スイスワインの生産者 シャトー・ル・ロゼのオーナーのピエール・ウーヴィエ氏が紹介された。
白ワインはシャスラス種を使ったワイン。
シャスラス種は、フランス国境に近い西部のレマン湖周辺で伝統的に栽培されていて、スイスの代表的品種。
ジラルデの店がある州では、栽培ブドウの65%がシャスラ種だと云う。
また、赤ワイン「ピノ・ノアール」はまだ日本には入荷していないそうで、ウーヴィエ氏は、「皆さんに飲んでいただくために娘のバックに忍ばせてきた」とジョークを言っていたが、この「特別ディナー」のために特別輸入したもの。
静岡産富士サーモンのティエビド
フェンネルとオリーブオイルのエミュルッション
大使館時代のヨーロッパでは、フランス料理と云えども、魚介を生で使うことはなかったという。
しかし、ジラルデの料理は火の通し方が絶妙で、どれをとっても新鮮な素材の持ち味を生かしていた。
ありのままに。あるがままの素材を思うままに使う。
ジラルデから学んだ三國シェフは、それから大使館の料理を作るときに素材をよく見るようになり、匂いを嗅いだり、生でかじって見たりしたと云う。
サーモンは焼くとパサパサになるが、ジラルデの料理は、1度冷凍して殺菌してから火加減で生の素材を生かしていた。
当時日本ではまだ、この技法は使われていなかったので、日本に戻ってからはこの料理は良く作ったという。
シヤラン産仔鴨のコンフィ仕立て
エピスとレモンの香り
シヤラン産の鴨は、昔は貴族しか食べることができなかった。
食用バラがワンポイント
ジラルデの経歴は変わっていると云う。
彼は、スイスを代表する元サッカー選手で、現役で活躍していた時に、料理人の父親が亡くなり、そのあとを継いでいきなり田舎のレストランのオーナーシェフになっている。
料理人として修業を積んでシェフになったわけではないが、30歳近くになって、才能を開花させ天才シェフと称賛されるまでになったという。
メニューにはなかったが、スイス産のチーズは、癖の無いものだった。
普通レストランでは数日前にはメニューが決まっていて、それにしたがって材料を調達し、前日に仕込みをして、当日はレシピにしたがって料理にするが、ジラルデは、毎日ゼロから始まり、その日の食材を十分に見極めてから、その時の発想で料理を作っていくのだという。
ジラルデの料理は、まったく独創的なもので、天才と云われる所以、
フランスとの国境に近い山村にある彼の店「オテル・ドゥ・ヴィル」には、食通たちが押しかけ、「予約を取るには、スイス銀行の金庫を破るより難しい」と云われていた。
北海道増毛産プルーンのミルフィーユと無果花のロティ
ヴァニラジェラート添え
三國シェフは、大使館勤務の休みを利用して3年、大使館をやめてから2年の5年間、天才シェフ、フレディ・ジラルデのもとで働いた。
三國シェフにとってジラルデは、ヨーロッパで会った最初の「料理の神様」で、料理人という仕事の厳しさ、醍醐味を教えてくれた師匠だと云う。
そんなご縁から三國シェフは2001年からスイス航空の東京発ジュネーブ便(ファーストとビジネス)の機内食を監修していると云う。
我々の前のお席は、北海道「中礼内美術村」の飯田郷介副館長ご夫妻で、
お住まいが練馬と云うことで話の接点が見つかり、渡邉さん共々親しくお話をさせていただいた。
何でも、美術館に関する著書を執筆されたそうで、東京国立近代美術館とレストラン『ラー・工・ミクニ』についても取材し書かれたご縁だという。
料理に合わせて、日本酒も出てきた。
食前酒は、群馬県の永井酒造「水芭蕉ピュア」
日本初、瓶内二次発酵により、シャンパンと同じ製法で造られたスパークリングの日本酒。
食後酒は、福井県船木酒造「北の庄 甘口の酒」
三國シェフが親善大使を務める福井県の日本酒、新たな試みにより造られた甘口のお酒。

三國シェフは最後にスタッフを紹介した。
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猪俣直久シェフ(ラー・エ・ミクニ)、佐々木章太シェフ(ミクニ・マルノウチ)
木村さん(オテル・ドゥ・ミクニ)
増田禎司支配人(ラー・エ・ミクニ)、山本広美ソムリエ(ラー・エ・ミクニ)
岡本孝一さん、植田さん(オテル・ドゥ・ミクニ)
03−3213−0392