一般社団法人 東京都農住都市支援センターが、東京農業の歴史や栽培の現場を広く都民に知っていただくために、毎年「江戸東京野菜探訪ツアー」を企画実施しているが、今年も先日、44名の参加を得て開催されました。

今回も、江戸の五大市場のひとつだった「京橋大根河岸青物市場跡」の広場に集合し、
亀戸大根や伝統小松菜が運ばれてきた舟運のルートをバスで遡り、江戸川の農家で、亀戸大根の収穫と伝統小松菜、そして交配種の小松菜を収穫し、小松菜のふるさとでは、歴史を肌で感じて戴いた。

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9時40分、主催者の東京都農住都市支援センター・矢島清専務の挨拶でスタートした。
今年は、京橋大根河岸青物市場が寛文の初め(1664年) 誕生してから350年を迎え記念イベントが開催されたことを伝えた。
記念碑の裏には、当時の市場を形成していた卸問屋の名が掘られているが、上段の「三光山」が築地市場の東京シテイ青果・石川勲会長(京橋大根河岸会会長) の実家。
会長には、毎回、京橋の説明をしていただくが、今回は都合がつかず、同青果の藤田寛専務理事が差し入れのみかんを提供いただいた。
また、同社総務の伊藤逸人係長とこだわり農産物の相澤直也さんが参加された。
昨年、石川会長が中央区に申し入れて、外堀通りから東海道までの間を「京橋大根河岸通り」と命名されたことを紹介した。
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バスが待機している鍛冶橋駐車場までは、歩いての移動だが、途中、大根河岸の紺屋橋について説明。
また、小宮山印刷を例に、京橋川の様子を解説。
バスは、鍛冶橋駐車場から日本橋を渡って深川の万年橋へ
日本橋にはかつて魚河岸があったが大正12年9月に発生した関東大震災によって壊滅的な被害に遭い、現在の築地に移った。
因みに、京橋大根河岸は昭和10年の中央卸売市場法の改正で築地に移ったことで、築地は魚市場と野菜市場が併設された大市場となった。
家康は、行徳から江戸に塩を運ぶために、小名木四郎兵衛に命じて開削させている。
この川を使って、日本橋魚河岸から出る魚のアラを砂村に持ち込み、落ち葉などと混ぜ、そこから出る発酵熱を利用して、砂村は促成栽培の発祥の地となった。

小名木川が隅田川に注ぐ辺りに、万年橋が架かっている。
ここには、「川船番所跡」の説明板がある。
明暦の大火で、川の関所、川船番所は小名木川と中川が合流する辺りに移転している。
江戸の頃、万年橋は浮世絵にも描かれている。

中川船番所跡
現在、小名木川はこの地で堰き止められている。
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明治44年に、荒川放水路の開削工事が始まり、20数年をかけて昭和5年に竣工した。
これによって、小名木川に繫がる新川は分断された。

亀戸大根の発祥の地、江東区亀戸に鎮座する香取神社では、境内に亀戸大根碑と説明板がある。
香取宮司さんから、スポーツの神様・香取神社について説明していただく。
同神社には「亀戸大根」の説明板が建っている。
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香取神社をお借りして、昼食は
亀戸大根の「升本のお弁当」と、東京シティー青果から戴いたみかんが配られた。
野菜の収穫体験は、江戸川区鹿骨の中代正啓さんのハウス。
昨年まで木村重佳さんに依頼していたが、今年は木村さんの紹介で、ご親戚の中代さんにお願いした。
亀戸大根は、亀戸の升本に納品している品。
また、伝統小松菜は、栽培したことが無いと云っていたが、無理にお願いしていて、
11月中旬に、生育期状況を見せてもらっていた。ただ、44名からの皆さんが入るには、ハウスが狭いので、中代さんが事前に収穫しておいたものを手渡すという方法を取った。
江戸東京野菜コンシェルジュの佐藤恵美さんも参加していて、初めて亀戸大根を収穫したようだった。
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コンシェルジュの大野憲司さんも参加していた。

毎年来ている、小島啓達さんのハウスで、小島さんの小松菜栽培への思いを伺い。
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小松菜の収穫体験。
小島さんの小松菜は交配種の小松菜。
中代さんが栽培してくれた伝統小松菜と、食べ比べていただきたい。
小島さんのハウスで、小松菜一筋の平野農園の平野靖和さんに声をかけられた。
今回のツアーには、地元JAスマイルの広報担当の森田美穂さんと、日本農業新聞の川村悠樹記者が同乗し盛んにシャッターを押していた。

最後は、江戸川の新小岩の香取神社。
小松川・境川親水公園は、かつて水田地帯であったころの用水。
昭和57年に竣工、新中川の水をポンプアップして流しているもので、農村時代の遺産。
親水公園を渡ったところに、小松菜の謂れのある香取神社。
丁度、酉の市で、露店が境内いっぱいに出ていたので、神社の外で説明をしてから、境内に案内した。
同神社には神社の由来とは別に、同社に伝わる「小松菜」の説明板が建立してある。
尚、今回、東京都農住都市支援センターの西川愛一郎さんにはカメラマンとして活躍いただいた。