東京都公園協会の季刊誌「緑と水の広場」を編集等をしている(株)シーエスプランニング編集ルームの三品和彦氏から電話を戴いた。
5年振りだか、2010年1月発行の同誌「東京の自然図鑑」に、「江戸生まれの小松菜」を掲載していただいたときお世話になったが、今度は「奥多摩ワサビ」を取り上げたいという。
4月初めに昭島まで来ていただいて、お話を聞いたが、写真も必要だというので、ワサビ田へお誘いしてみた。
9時半拝島駅北口で待ち合わせ、三品さんと、同誌写真担当の鈴木一正さんは文京区から車で来ていて、2台で、奥多摩に向かった。
行先は、奥多摩町丹三郎の千島わさび園で、代表の千島国光さんにはいつも便宜を図っていただいている。
10時半に千島わさび園に到着、こちらの目的を伝えて、写真の撮れそうなところへ案内していただくようお願いした。
千島さんから軽トラを借りて2台に分乗、日原方面の川苔山登山道から日向沢線林道に入った。
行く先々で落石が転がっている道を上り詰め、そこから、千島さんのモノレールに乗って桂谷ノ峰(1380m)の懐、海抜1150mの地点にある桂谷のワサビ田に向かった。
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4人が乗り込んだモノレールは一本の細いレールの上を進が、アップダウンの激しいルートで、眼下の谷底には、渓流が流れていた。
ワサビ田の周りは、鹿や月の輪熊からワサビを守るために網が張られている。
ワサビは寒冷紗やネットで覆われていて、これでは、写真を撮っても絵にならないと心配したが、もう剥いでいい時期だからと、我々も手伝って剥いでから撮影となった。
顔を出したワサビは若干徒長気味で寝たものもあったが、日に当たれば2・3日でまっすくになるとか。
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1ヵ月前、長野県穂高の大王わさび農園では、ワサビの花が満開だとテレビが報じていたので、奥多摩ワサビの花を見に行こうというツアーを予定していたので、あわてて千島さんに電話をしたら、奥多摩は高地だから4月に入ってからだと聞いてほっとしたものだ。
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千島さんのワサビ栽培は、回転良く1年半で収穫しているとのこと.
千島さんは昔から、築地に出荷して来たそうだが、この時期は、「ワサビの花」の注文が多いという。
ワサビ田の周りには、タネが飛び散ったのだろう 小さなワサビが伸びていた。
日向沢線林道を途中まで戻り、そこから日向沢ノ峰方面に行った海抜1050mところのワサビ田に案内された。
2013年に、納所二郎理事長などと行った場所だ。
当時のものはすでに収穫され、今、苗を植え付け中の場所を見せてもらった。
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長野県穂高の大王わさび農場では、畝にワサビを植えて、畝と畝の間は水を流す方法をとっているが、千島さんが指導している奥多摩式栽培法は、ワサビの根を冬の寒さや夏の暑さから守るために、畝と畝の間に植えて、常時均等に沢の水を浴びるように作ってある。
また、70−80cmの深さのあるワサビ田には、塩ビ管で暗渠が埋設され、水がワサビ田の上を流れるだけでなく、中も流れるために、ワサビ田内の温度も安定して、しっかりと根が生育するのだという。
山からの帰り、途中に海沢(うなざわ)大橋の信号があったが、多摩川を渡って南に入っていくと海沢の集落だ。
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武蔵名勝図会(文政3年・1820) には、海沢の特産が山葵であったことが掲載されていて、これが奥多摩ワサビのルーツだ。
夢中で写真撮影などを行ってきたので、丹三郎地区に戻ったのは15時になっていた。
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この長屋門は、東京都選定歴史的建造物に指定されている。
山に行くときに予約をしていったので、食べられたが、もうお店は終わっていた。
蕎麦ぜんざいと一緒にでてきた「本わさびの三杯酢」は、ぜんざいの甘さを引き立てた。
「本わさびの三杯酢」は、千島わさび園のものだという。
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注文したのは、蕎麦せいろと蕎麦がき、そして蕎麦ぜんざいのセットと、山菜のコゴミの天ぷらを戴いた。
ワサビづくしの1日の締めくくりとして、満足だった。
追伸
6月に季刊誌「緑と水の広場」に奥多摩のワサビが掲載された。