昨年の夏休み明けから第五砂町小学校(齋藤和子校長) の4年生が始めた砂村一本ネギの栽培は、銭元真規江栄養教諭が2010年から食育として取り組んでいる。
作物の収穫体験みたいなことは、1日で終わり、やらないよりましと云うものだ。
ところが五砂小の取組は違う、4年生がプランターにタネを蒔いて、大きくなると学校農園に移植、そして何回かの土寄せをして・・・・。
ここまでは、当ブログで紹介してきた。
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今年はとても大きく立派なネギが収穫できました。
作物の栽培、播種から収穫までは、作物によっては学年内に納まらない。
ネギ栽培がそれで・・・、
同校の4年生も5年生になったが、4月の中旬、収穫などの日程が決まったと、銭元先生からメールが届いていた。
「砂村一本ねぎの収穫は4月24日(金)3・4校時に決まりました。
クラスごとで、1時間で2クラスずつ行います。
その後、27日に放射能検査を行い、28日の給食につけて全校で味わいます。
種とり用には、ねぎ坊主の大きくなったものを何本か畑に残したままにしておきます。
3時間目は、10時35分から、給食は12時10分からの始まりです。
ご都合がつきましたら、いらしてください」とあったが、先約があっていけなかった。
そこで先日、銭元先生が、その時の写真を送ってくれた。
「4月24日(金)に、予定通り砂村一本ねぎの収穫を行いました。
1時間の中で2クラスが交代でした。
今年はとても大きく、立派で全体で26kgも採れました。」
27日に放射能検査のため、深川南部保健相談所に持ち込み、その結果、よう素、セシュウム、共に検出されず、安全が確認されたとして、給食に出された。
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「28日の給食につけました。『かきたま汁』と『おひたし』に少し入れ、
今回も5年生だけ『ねぎ坊主の天ぷら』をつけました。
甘くておいしく、自分たちで作った5年生は収穫の時から、いつ給食に出るのかを楽しみにしていて、喜んで味わっていました。」
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種とり用には、ねぎ坊主の大きくなったものを、何本か畑に残したままにしたという。
(中略)かきたま汁には4年生、今の5年生が育てた「砂村一本ねぎ」をつかいました。
とても大きくりっぱに育って26kgもとれました。
あまくてみどりの部分もやわらかいので、よく味わってもらうようにいつもより大きく切りました。
たくさんあったので「おひたし」にも少し入れました。
ねぎのあまさを味わって食べてみてください。』と書きました。とあった。
この後、種を採って夏休みが終わった8月末に、4年生にタネを贈呈し、種を通して命が繫がっていくことを学ぶことになる。
昭和の俳聖と呼ばれた石田波郷が、讀賣新聞の1957年(昭和32年)春に、江東歳時記として、砂町のネギ栽培の事を書いているが、この記事から57年の時を経て、
先月4月15日(水)の讀賣が、「伝統のネギ 児童ら栽培」(波郷再訪65)として、五砂小の砂村一本ネギの取り組みを対比させて紹介した。
「・・・栽培を指導してきた栄養教諭の銭元真規江(省略)が「砂町の伝統だけでなく、命を次代につなげることの大切さも学んでもらうネギなんです」と目を細めていた。」とあった。