新宿御苑で学ぼう! 江戸東京野菜講座は、今年から始まったが、
固定種の伝統野菜栽培などについては、今日、農業指導者の中でもその道の長老に聞かないとわからないことから、「伝統野菜は長老に聞け!」を、1昨年から実施していて、好評なことから、「新宿御苑で学ぼう! 」でも、引き続き開催することになり、今回は国分寺の小坂長吉氏にお願いした。

小坂さんは、おじいさんが戦前から取り組んでいた、ウド栽培を昭和30年代に引き継ぎ、国分寺地区では最初に高冷地育苗に取り組んでいる。
小坂さんのお宅は、長男の良夫さんに営農の主体は移しているが、長吉さんは。自宅周りの農地を担当されていて、先日、小坂さんのお宅に伺い、写真を撮らせていただいたので、パワーポイントにして、皆さんに紹介した。
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小坂さんの農地は、お鷹の道のある国分寺跡の南、東八道路の北側に2ヘクタールの農地を耕作していて、府中市との境が近い。
JA東京グループが毎年実施している「東京『農』の風景・景観コンテスト」で、2011年に実行委員会会長賞を受賞していて、その資料を配布した。
資料によると、東京うどや馬込半白キュウリなどの江戸東京野菜も栽培、種を自家採種する等積極的に伝統野菜の普及宣伝に努めています。・・・・とある。
小坂さんの伝統野菜で、年末には銀座若菜から「江戸から東京 冬野菜のお漬物」が販売されている。
さて、長吉さんの営農については、私が質問を投げかけ、それに応えて戴くことで進行した。、
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ウド栽培にあたって、小坂さんの自宅周辺の畑には、6カ所のウド室が掘ってあった。
小坂さんのお宅のウド室は深さが3mで、長吉さんが全部掘ったものだそうだ。
鍬の柄を短く切って掘っていく。
縦穴3mを掘るのに1日、横穴が4畳半ほどの広さに掘るのに1日で、小坂さんのウド室は、左右2部屋の造りで、3日で掘り上げた。
若かったから出来たという。
国分寺村時代に、使っていた「東京西山特産ウド」のシール。
もう一枚の資料は、平成9年に発行された「東京うど物語」(東京うど生産組合連合会創立45周年記念誌)に、長吉さんが、「うどの思い出」を書いているというので、資料として配布した。
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その内容について質問をした。
お祖父さんの時代「土伏せ」だったという。
溝を掘って根株を伏せ込み、上から土をかけて根株を覆ってしまう。
伏せ込んだ根株の脇溝を掘って、乾燥した落ち葉に火を付けると、じわじわと燃えて根株を温め、休眠打破をすると云う技法をとっていたという。
東京で栽培していたのでは、霜が降るのが遅いので、根株が休眠しないために、軟化栽培が出来ない。
そこで、早く霜の降りる地方で育成栽培してもらうと、早く根株が休眠し、軟化栽培で価格の良い12月から出荷できるので、群馬県赤城山で高冷地育苗をしてくれる農家を探しに行ったという。
会場からの質問で、軟化栽培の終わった後の、根は食べられるのか!
長吉さんは、美味しいという。
ウドの花もスパイシーで美味しいことから、花の咲くころに、根と花を食べる会を開こうということになった。