2015年08月09日

台風13号下の東京農大 宮古亜熱帯農場に菊野准教授を訪ねた。


東京農業大学国際食料情報学部の宮古亜熱帯農場は我々の時代はなかったが、同級生の鈴木俊教授が現役の頃、生徒を引率して実習に行っているという話を聞いていた。

一度行ってみたいと、思っていたが、食料環境経済学科の五條満義先生から同農場の副農場長で准教授の菊野日出彦先生を紹介して戴き、メールでお願いすると、
現在、ナイジェリアに出張中だが、7日には戻っているというので、スケジュールに入れていただいた。

先生は、熱帯作物学がご専門で、同学部卒では29年も後輩になるという。
2012年にナイジェリアの国際農業研究機関の国際熱帯農業研究所(IITA)から農大宮古亜熱帯農場に移り、2014年から同農場の副場長をされている。

アフリカ、ナイジェリアでヤムイモ(ヤマノイモ属植物で食用となるものの総称)の研究をされていて、よく行かれるようだ。

台風13号の影響で強風が吹いていたが、朝メールをしてから宿泊している東急リゾートからタクシーで、砂糖キビ畑の中を抜けて、同農場に向かった。




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沖縄本島の南西300qにある宮古島は、高温多湿の亜熱帯海洋性気候の地。東京農大宮古亜熱帯農場は9.5ヘクタールで、ヤムイモの栽培を中心にサトウキビ、熱帯果樹のマンゴーやドラゴンフルーツなどの栽培を手掛けていて、熱帯・亜熱帯農業の実習教育・試験研究を行っている。

農場では、国際開発学科の生徒が1週間の実習(農家実習を含め)を行う。
1回に40名程が、年4回、4月、6月、10月、2月に行う。トータルで年間180人ほど受け入れていて、50人用の宿泊施設を備えている。

また、全国の高校(農業高校が多い)の卒業生を対象に受け入れ1年以上実習を積んだものは、東京農大に農場推薦入学の制度もある。青年海外協力隊を受験する前に、実務経験を積むため、基本半年、同農場で研修生として研修を積むコースがあるが、これは東京農大の卒業生のみ。



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宮古島は、平坦な島で飛行機から見ると耕地整理が進んでいる。
農場のある城辺は島の東部あたり、切り立った崖が続き、岩礁にあたる波しぶきを強風が吹きあげていて、菊野先生は塩害を心配していた。




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同地ではホワイトヤム、イエローヤム、ダイジョが主食。ジネンジョ、ナガイモは温帯産のヤムイモ。
沖縄ではダイジョは伝統的に食用(副菜として)とされている。沖縄本島、八重山では多い。宮古島では以前はあったが現在は少ない。冬になるとあたらす市場(JAマーケット)で販売している。

同農場には、ダイジョのコレクションは100品種で、宮古農場はコレクションとしては日本一だそうだ。

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緑肥作物のクロタラリアと、ダイジョを一緒に栽培するとつる性のダイジョは、クロタラリアに囲まれ、また巻き付き生育する。

台風の風害を軽減するため。ダイジョの収穫後は、クロタラリアはダイジョ残渣とともに有機物として農地に還元。ネコブセンチュウに強く、花も美しい。




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収穫の写真は、同農場ブログ「ヤムイモ堀」より、菊野先生の了解を得て転載。

ダイジョ(ヤムイモ)、トゲイモ、ホワイトヤムなどがあり、収穫は12月から年明け2月くらいまで
産官学連携協定(東急電鉄、宮古観光開発(東急系列)、宮古島市、東京農大)の一環で東急の敷地でもヤムイモ(ダイジョ)を試験栽培している。

ダイジョは日本では、とろろ汁の他、菓子(かるかん)、焼く、蒸す、として食べられる。沖縄ではチャンプルーの具としても利用。

同農場のダイジョは、焼酎「天恵のしずく」の原料として供給している。 東京農大OB(沖縄・糸満)が経営する「まさひろ酒造」で醸造販売している。

鹿児島や宮崎ではつくね芋と呼ばれて売られている。鹿児島が多い。




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台風対策がされていて、ハウスには入ることはできなかったが、マンゴーの研究も行っている。

アップルマンゴーは7月中がピーク、台風が多く島から飛行機で出荷できない時には、過熟させて商品価値を下げてしまう。アップルマンゴーが終わると、キーツマンゴー(晩生種)になる。

キーツは味が良いが完熟の見極めが難しい(自然に果柄から離脱しない。)、香りが立ってきたら完熟が近いので、農家は出荷を始める。宮古島では、多くががアーウィン種(アップル)、キーツやその他のマンゴーもある。
マンゴーには色も形もいろいろあり、新しいものも出回り始めている。

キーツマンゴーは表皮が緑色のとても大きな実をつける品種で、大きい物は1個で1s以上になる。
収穫後、常温で12〜14日間程気長に、大切に保存することで熟成する追熟タイプのマンゴーで、通常のアップルマンゴーの2倍近い大きさなので、食べごたえも十分。

果肉は繊維質が少なく、とろけるような食感で、濃厚な甘味がとてもジューシー。
マンゴー通の中では誰もが絶賛する一番人気の品種だそうだ。
ただ、収穫時期が短く、収穫が集中してしまう傾向にあり、収穫数も少ないためなかなか手に入らず、幻の果実ともいわれているという。




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コーヒー豆は、アラビカ種の7品種(世界で栽培されているアラビカ種の主要なものは揃っている)が、テリハボク(防風林ではよく使われる)の防風林帯の中で栽培されていている。宮古の特産化に向けて栽培試験中。

ひよこ豆、タロイモは300品種のコレクションで、遺伝資源の導入もおこなっている。




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島尻マージと言われる土壌は、主に沖縄島南部、宮古島に分布し、琉球石灰岩を母材とする暗赤色土壌 。アルカリ性を示し、保水力はなく、水はけがよく、すぐ硬くなる。

菊野先生お世話になりました。
カラシナなどの研究も始めるようで、先生とは今後もお付き合いが出来そうだ。




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実は、大学2年の1963年8月、石垣島にパイナップルの栽培を見に行ったとき、宮古島城辺の松原宏君のお宅に立ち寄ったことがあって以来だから、宮古島には52年振りに来たわけで、当時の沖縄は返還(1972年)前だったから、米国が許可した身分証明書を持参しての渡航だった。
通貨はドルだったし、車は左運転だった。

今日、島は観光で大きく発展していた。

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はじめて飛行機に乗ったのが宮古〜石垣間で、宮古空港も石垣空港も原っぱで、勿論空港ターミナルなどなく、南西航空(現日本トランスオーシャン航空)が台湾からチャーターしたダグラスDC−3を飛ばしていた。

宮古空港は、バス停のような椅子がひとつあるだけだった。
乗ってきた飛行機を石垣空港で見送ったが、砂埃を揚げて離陸していった。




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かつて村々にあった農業協同組合は合併していた。JAの「あたらす市場」に寄ってみた。
農産物も豊富に出荷されていたが、害虫も多いらしく持ち出し禁止の農産物が目に付いた。

かつては、小笠原の父島・母島も同じだったが、梅澤幸治さんが都庁農林部時代にミカンコミバエを根絶して、農水大臣の感謝状をもらっている。

小松菜は交配種(F1)になったことで、北海道から沖縄まで栽培されていると話しているが、
同市場でも、小松菜の種が販売されていた。


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因みに、沖縄の伝統的農産物は、沖縄県が発行した「おきなわ島ヤサイ」に掲載されている。
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何年か前に、沖縄野菜は、野菜と文化のフォーラムで、勉強させてもらったことがある。




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今回の、沖縄滞在で、支えになってくれたのが、日本トランスオーシャン航空(JTA)の及川智さんだ。
5日.那覇空港で宮古便に乗り継ぎの僅かな時間だったが、休暇だとかで会いに来てくれた。

及川さんは、2007年だったか東京農大4年から大学院を出るまで、江戸東京野菜に興味を持って、すいぶん手伝ってもらった。

JTAに勤めた後も、江南竹(孟宗竹)を、薩摩藩の島津家が琉球交易で入手しているが、沖縄に孟宗竹が無いのは何故かなど、調べてくれたりもした。
孟宗竹は、島津家が将軍に献上したことから、江戸で栽培されるようになったもので、孟宗竹の「タケノコ」は、江戸東京野菜になっている。

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8日の便で帰る予定でいたが、台風13号の接近で、7日朝には全日空は早々と欠航としたが、及川さんからJTAは運行予定だとショートメールが届き、安心して行動できた。
及川さんありがとうございました。


追録

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JALの機内誌を見ていたら、奥多摩ワサビや、道の駅がある滝山城址の記事が掲載されていて、3時間のフライトの気を紛らわせてくれた。

JTAからJALへの乗り継ぎもスムースで、定刻に羽田に着陸した。



posted by 大竹道茂 at 07:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 全国の仲間の話
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