新宿区立柏木小学校(佐藤郁子校長)が実施している、地元の伝統野菜「鳴子ウリ」の栽培復活は、3年目を迎えたが、年々バージョンアップしている。
昨年から、栽培指導を梶谷正義先生にお願いしてから、鳴子ウリの栽培も順調で、7月8日に伺ったことは、当ブログで紹介したが、幾つも実った鳴子ウリは夏休み中で、これらは先生方に食べて戴いた。
同じ頃種から蒔いたのは、8月下旬食べ頃になる予定で鳴子ウリが実り始めたが、年度当初予定がなかった、校舎の外壁工事が急きょ行われることになり、足場が組まれたため、栽培は途中で中止になってしまった。残念。
当研究会では府中の石川孝治さんに協力を求め、快く鳴子ウリを提供してくれたので越田邦彦副校長にお渡ししておいたが、冷蔵庫で保管してくれていた。
4年1組21名(担任・井出紘貴先生)、4年2組20名(担任・國上遥子先生)、の授業は、9月4日 3、4時間目を使って行われた。
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事前に学年主任の國上遥子先生から、連絡をもらっていたが、1時間では無理との、昨年の反省から2時間を用意し、3時間目で伝統野菜「鳴子ウリ」の歴史の振り返りと、梶谷先生の作物としてウリについての勉強
4時間目では、「鳴子ウリポンチ」を作って試食をすると云うもの。
新たな試みだ。
今回は、何人かのご父兄が参観された。
江戸東京野菜を撮り続けている女流写真家、高橋淳子さんが、鳴子ウリの学習をする生徒達を撮っていた。
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まずは、出井先生が写真を示しながら、鳴子ウリの成長を振り返った。
生徒達も、思い出しながら、先生の言葉に反応していた。
家康、秀忠親子が、美濃からマクワウリ名人を呼び寄せて、府中で栽培したマクワウリ、「府中御用ウリ」を、将軍家に納めた後は、名人達は美濃に帰って行ったというが、秀忠の子「家光」は、甘いものが無かった、こどもの頃からこのウリを江戸城内で食べていて、家光は柏木の地で栽培していた「鳴子うり」を食べていた。
各班に、マクワウリを渡して、匂いを嗅ぐ、触った感触をメモさせた。
「メロンのような匂い」と答えた生徒が一番多かったが、「バナナとメロンが混じった匂い」の生徒も多くいた。
さわった感触では「キウイフルーツ」のようだと云う班があったが、良く観察している。
硬い産毛が生えているような感触がする。
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次に、一切れ食べさせた。
各班を回って、味覚が発達する年頃だけに、よく味わってと云って回ったが、
「甘い」、「酸っぱい」、「しょっぱい」、「苦い」、「旨味」、からどれなのかを、班の代表に聞いてみた。
「甘い」「苦い」「うすい甘さ」などが出た。
配ったウリのヘタに近いところを食べた生徒は「苦い」、真ん中あたりを食べた生徒は甘かったようだ。
そこで、三代将軍家光の時代は、この味が甘いと云って喜ばれたもので、この時代は砂糖はなかったと・・・
。
生徒たちは「エ〜!」と大きな声。
砂糖の栽培が始まったの八代将軍吉宗の時代で、サトウキビの栽培を江戸城内でも試作しているのは、100年以上も後のことで、それでも一般に普及するまでには至っていないことを説明し、
今の食生活がいかに、幸せなことなのかを、考えてみるようにと・・・。
梶谷先生は、ペーパーを配布して、マクワウリがメロンのような匂いがしたのは、キュウリ属メロン種だからだと、説明。
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種の周りに種を保護するワタがあることも・・・
4時間目は、「鳴子ウリポンチ」を作ろうだ。
この企画は、先生方の提案で、出井先生が部屋の隅で、フルーツの缶詰を開けて準備をしていた。
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用意したもの、
鳴子ウリ、フルーツ缶(食べる前に十分にシロップを切っておく)、サイダー
紙皿、スプーン、まな板、包丁、ピラー、ザル、ボウル、ごみ袋。
鳴子ウリの皮を剥き、種を採る。ウリを切る。
生徒たちが班に持ち帰り、フルーツを分ける。鳴子ウリを分け、最後にサイダーをかける。
鳴子ウリのグリーン、フルーツの色とのバランスが良い。
鳴子ウリの匂いがポンチの主役になっている。
サイダーが、フルーツ全体の甘さを均一にして、鳴子ウリの美味しさを引き立てた。
最後に、種を無駄にしないように!
来年、自宅で栽培したい生徒には、種を配る。
地域に配ることも重要で、小学校から野菜文化を広げていくことも生徒たちに話した。
尚、同校の要請により、授業は「農」のある暮らしづくりアドバイザーとして(一財)都市農地活用支援センターから派遣されたもの。