2015年10月10日

第9回 「子どもたちに笑顔を !」プロジェクトは、宮城県南三陸町の小学生を対象に行われた。


2011年3月11日に発生したマグニチュード9.0という大地震により東北地方の太平洋沿岸に大津波が押し寄せ、多くの方々が亡くなられた。

三國清三シェフは、すぐさま行動を起こし、 同年6月には日本フランス料理技術組合(三國清三代表)と、東急グループ各社、日本バレーボール協会、その他有志企業の協力により、第1回「子どもたちに笑顔を !」プロジェクトを実施し、被災地の子供たちに愛の手を差し伸べてきた。

これまで、5年間に年2回の予定で実施してきて、前回は福島県の南相馬だったが、
今回は第9回として、初めて南三陸町に伺い、町立伊里前(いさとまえ) 小学校( 仲上浩一校長) 児童125名、教諭22名と、町立名足(なたり)小学校( 加藤えり子校長)  児童67名、教諭16名を対象に実施された。





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三國シェフは、前日気仙沼で行われた「第12回プチシェフコンテストin気仙沼」の審査委員長をされてから、来られたが、

会場の伊里前小学校に着くなり、まずは「鎮魂の森」にお参りしたいと希望したことから、歌津で六次産業化のアドバイスをしている桔梗美紀氏の車で、南三陸町歌津総合支所の及川庄弥支所長に案内していただいた。

「鎮魂の森」には今年7月に「歌津観音」が建立された。
台座には、明治29年と、昭和8年に、この地を襲った大津波の犠牲者と東日本大震災大津波の犠牲者の慰霊と安寧を願い建立したとある。

観音像の脇にある碑には
平成23年(2011)3月11日(金曜日)午後2時46分。マグニチュード9..0という大地震が発生。三陸地方をはじめとする東北地方の太平洋沿岸に大津波警報が発令された。

午後3時18分、ここ伊里前湾では津波の兆候が確認され、その5分後に19mの大津波が襲来した。堤防を越えた大津波は水門と歌津大橋を破壊。伊里前の市街地は一瞬にして破壊状態となった。

伊里前小学校の校舎一階は床上70pの浸水、校内に設置された電気時計は午後2時47分で止まった。
名足小学校の校舎は2階屋上20cmの浸水。時計は午後3時25分で止まった。

この大津波で歌津地区では119人の尊い命を喪った。菩提寺である西光寺は本堂と庫裏、津龍院は本堂が海へと散った。〜以下省略〜。

碑には、119名のお名前と年齢が刻まれていて、三國シェフはプロジェクトを代表して犠牲者のご冥福を祈られた。



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赤坂エクセルホテル東急を20:30に出発した東急バスは、日の出前の南三陸町「伊里前幸福商店街」前の広場に到着した。

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津波を防ぐ水門があったが、津波は遥か上を越えて行ったと云う。
伊里前小学校の校庭に設置された仮設住宅にお住いの、千葉貞雄さん(写真右下)と云う方が朝の散歩をされていたのでお話を聞いた。、

かつてここには千葉さんのお住まいも含め、住宅がびっしりと建っていたというが、想像すらできない。


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伊里前小学校の校庭半分に仮設住宅が建っていた。

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会場となる同校の体育館では、この企画のプロデュースをしている(株)豆豆社 松木直也さんから、当日のスケジュールが説明された。

早速、テーブルや椅子の設置作業から入った。
「歌津うんめぇもの研究会」(写真右下) の千葉孝浩会長、三浦秋敏副会長、事務局の伊藤孝浩さんと名刺交換をしたが、8人がボランティアとして駆けつけてくれた。

東急グループのボランティアの皆さんは、阿部龍浩氏(営業推進部統括部長)のもと集まり、シェフの皆さんはザ・キャピトルホテル東急・加藤完十郎総料理長、京都東急ホテル・白幡健総料理長のもと、持ち場持ち場で打ち合わせを行った。






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「子どもたちに笑顔を !」プロジェクトは、バレー教室から始まった。
元女子バレーボール日本代表で2004年のアテネ五輪に出場の大山加奈さんと妹で女子ビーチバレー選手の大山未希さんの指導で行われた。

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9:25から、伊里前小学校の3年と4年生、
10:10からは、名足小学校の5年と6年生
10:40からは、伊里前小と名足小の5年と6年生が合同で指導を受けた。

校庭には、子どもたちの歓声が響き渡っていた







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11:40、4時間目、三國清三シェフを筆頭に、東急グループのボランティアの皆さん(巻末の名簿を参照)などと、シェフの皆さんがステージに上がった。

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ボランティアの皆さんは、準備の都合で持ち場に着いた後、シェフの皆さん一人ひとりが自己紹介を行った。

有名レストランやホテルのシェフが「皆さんの笑顔を見に来ました!」「美味しい料理を作ってきました。沢山食べてください!」、等の一言に、会場からは拍手が起こっていた。






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引き続き、三國シェフの「食育の時間」。
三國シェフは生徒達に親しく語りかけた。「お腹空いた?」
「お腹空いていたら、話は短くするからネ」と

「美味しいものを食べると、いい人になる・・・」、何か言い得て妙。

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松木さんの司会進行で、南三陸町の佐藤仁町長(写真中)と、南三陸町教育委員会の佐藤達朗教育長が、生徒達の気持ちを代弁しながら歓迎の挨拶を行った。






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伊里前小学校と近隣の名足小学校の児童192名、教諭38名、来賓が約90名、またスタッフも90名でおおよそ420食が用意された。






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シェフの皆さんは、持ち場持ち場で手際よく盛り付けていった。





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「子どもたちに笑顔を !」プロジェクト、人気のスペシャルハンバーク。

三國シェフは中学を出て、札幌で初めてハンバーグを食べたとき、その美味しさに、ハンバーグづくりの料理人を志したと、聞いている。

子どもたちが大好きなのがハンバーグだが、このスペシャルハンバーグは、2種類のソースがかかっている。
カレーソースが御飯にかかり、その上に乗ったハンバーグには、スペシャルソースが。
又、新鮮野菜のサラダには、スペシャルドレッシングがかかっている。

コーンのポタージュに、プリンも子どもたちには人気だ。
、天然水の「いろはす」は、コカ・コーラ・イーストジャパンの提供。




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三國シェフは、「野菜から食べなさい!」と、各テーブルを回って食べ方を指導していた。

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シェフの皆さんも、会場を回って生徒達に語りかけた。

ザ・キャピトルホテル東急の加藤シェフ(写真右下)、京都東急ホテル・白幡シェフ(写真左上)、六本木ヒルズクラブの山口シエフ(写真左下)など・・






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食事の終わった生徒達は、三國シェフにサインをもらおうと集まった。
色紙を用意していなかった生徒達は、プリン容器のキャップを持って並んでいた。

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生徒達は、「美味しかった」とほとんどの生徒が完食。

伊里前小学校の仲上校長は、「子どもたちは普通、野菜をこんなに食べませんよ!!」と、驚いていた。
「さすが一流シェフの料理は美味しいですね!!」と云って校長先生も笑顔だった。





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大山加奈子さんは先月結婚したとの報道もあり、生徒達からの花束と「ご結婚おめでとうございます!!」コール。

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何よりのサプライズプレゼントに、「感動してウルウル」と彼女はブログに書いているが、その喜びの写真がこれだ。

大山加奈さんから各小学校へバレーボールのプレセント、東急の阿部部長は、長谷川町子記念館からの「サザエさんのノート」が、全生徒にプレゼントされた。


右端をクリックして拡大(全画面)して会場の雰囲気を感じてください。  ↑


生徒達とシェフ達は、ハイタッチで別れを惜しんだ。


尚、次回第10回は、3月14日に実施される。



追録


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「平成23年(2011)4月27日。天皇・皇后両陛下が、瓦礫の山が残る歌津地区をご訪問された。
避難所では1人ひとりに温かい御声をかけて頂き、被災者の大きな励ましとなった。両陛下は伊里前小学校の校庭に立たれ、市街地と太平洋に向かって2度も鎮魂の黙礼をされた。」(観音像の脇にある碑より)

校庭の端には菊の御紋章の石碑が建っていた。

及川支所長の話では、大津波の翌朝、校庭には真っ白に雪が積もっていて、そこからは信じられない光景が広がっていたと・・・。

仲上校長は、松島湾の島の小学校で大津波を受けたと云う。どなたも大変な体験をしているのだ。

校庭から望む今日の光景だ。(写真下)
伊里前「幸福」商店街(写真右)の幟が建つ、仮設商店街(写真右手前仮設)がある。

「鎮魂の森」に建つ歌津観音の台座には、往時の歌津の街の航空写真が刻まれていた。

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観音像の脇にある碑には
「元禄6年に町割りされた伊里前には、役場、公民館・保健センター・商工会館・消防署・郵便局・駐在所・銀行・病院・歯科医院・魚竜館・漁協・農協などがあったが、地区住民の貴重な財産とともに、すべてが海の藻屑と消えてしまった。」とあった。




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同校体育館の裏に上ると、JR東日本気仙沼線の歌津駅の駅舎が見えた。

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線路は取り除かれて、JRのバスが運行していた。
津波は線路を越え、下りホームの一部を壊していた。駅舎から見上げるとそこは「鎮魂の森」だった。

鎮魂の森には「忘れないあの日を」の石碑もある

〜前文省略〜「この石碑は、後世の方々に対し津波が発生したら必ず逃げる事を伝える為に設置するものです。長い年月の中で普段起きている地震に慣れてしまうこともあるでしょう。しかし絶対に忘れて欲しくないのは、この地域は、津波がいつ来てもおかしくない場所であるという事です。大きな地震が発生し、津波に対する警報が出た場合には、すぐにこの山を含めた高台に逃げてください。」〜以下省略〜。

明治、昭和期に大津波に襲われた教訓を生かせなかった悔しい思いを、繰り返してはいけないと後世に生きる住民に伝えようというものだ。

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今回参加された皆さん。

日本フランス料理技術組合関係者は、
オテル・ドゥ・ミクニ・三國清三氏、
岡本孝−氏、水野宏尭氏、林一哉氏、小川智利氏、
ホテルマウント富士・塘康三氏、宮崎寛之氏、
六本木ヒルズクラブ・山口拓哉氏、
ピロッソ・赤松健二氏、
レストラン山崎・山崎隆氏、対馬麻由氏、渡邊志乃氏、
京都調理学校・畦柳達也氏、
弘前フランス料理研究会・高橋武敏氏、相澤健治氏、

東急グループ関係
ザ・キャピトルホテル東急・加藤完十郎氏、
中村直人氏、中西貞人氏、鈴木薫氏、伊藤美佳氏、古谷敬氏、
河内進氏、田中康英氏、小堀良太氏、安里哲也氏、
響尾麻人氏、斎田和宏氏、河内辰夫氏、西村美穂氏、大越周子氏、

セルリアンタワー東急ホテル
・岸敏夫氏、浅野暁子氏、川端巴都紀氏、新谷奈々氏、
横浜ベイホテル東急・滝本康子氏。
渋谷東急REIホテル・江田博一氏、碇元竜之氏、
渋谷エクセルホテル東急・舘野利弘氏、
吉祥寺東急REIホテル・高橋勝紀氏、

京都東急ホテル・白幡健氏、
赤坂エクセルホテル東急・松村法義氏
東急ホテルズ・鈴木和也氏、五島泰夫氏、石井克明氏、山野貴之氏

日本バレーボール協会・村上成司氏、照沼佑介氏、
大山加奈氏、大山未希氏、

コカ・コーライーストジャパン・遠藤功氏、
ユナイテッド・スポーツ・ファンデーション関係
・諸橋寛子氏、中野泰三郎氏、
大正クエスト・佐藤具裕氏、蔭佐慶彦氏、今北裕徳氏、

東急グループからは、
営業推進部・阿部龍浩氏、長島孝昌氏、藤田浩明氏、杉田光治氏、
鈴木雅之氏、川ア芳明氏、小島惇氏、鈴木淳子氏、
事業戦略部・菊本哲雄氏、長津田電車区・河野博臣氏、川副達郎氏、
長津田車掌区・水野修氏、原田悠氏、総務部・安江崇氏、
スマートライフ戦略部・田中良純氏、観光事業開発部・堀井克哉氏、
東急カード・村上栄一郎氏、江川琢雄氏、東急ストア・中島千紘氏、

東北東急関係者
世紀東急工業
・外村浩次氏、佐々木誠人氏、三澤健太郎氏、栗谷川宏氏、
東急リバブル
・吾妻直幸氏、渡邊智大氏、石勝エクステリア・櫻田邦明氏、
コミュニティーワン・福山晃二氏、
東急建設・菊池智彦氏、後藤正司氏、胃志田雄一郎氏、丹野尚彦氏、

豆豆社・松木直也氏、森川翔太氏、
江戸東京・伝統野菜研究会から私と由井和也君が参加した。



posted by 大竹道茂 at 00:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 三國シェフと江戸東京野菜
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