2015年11月22日

葱商の老舗「葱善」に伝わる固定種の「千住ネギ」が、故郷足立の農家で栽培が始まった。


江戸東京野菜のネギは、江戸の農業先進地砂村に摂津から持ち込まれ、砂村ネギとして栽培されてきたが、その後、隅田川を遡り千住地域に伝わり、栽培されたことから、市場では各産地から入荷したネギを、産地別に区分するために千住ネギの名が生まれた。

千住の近隣では、葛飾の新宿(にいじゅく)ネギ、矢切ネギなどもあり、また、埼玉からは岩槻ネギ、深谷ネギなども入荷していたが、千住市場には良質のネギが集まったことから、販売戦略上、千住市場に入荷したものを、千住ネギと呼ぶようになっていった。

最近では、1代雑種のブランドネギ「千寿ねぎ」をはじめ、埼玉の産地でも殆どが1代雑種に変わったと聞いていた。

足立区興野で江戸東京野菜の本田(ほんでん)ウリを栽培していた、内田和子さんから電話をもらった。

何でも、ご主人の宏之さんが当ブログを見ていて、足立区立の小学校で千住ネギの復活に取り組むことを知ったようで、すでに、内田さんの畑では浅草のネギ問屋「葱善」の田中庸浩社長から依頼されて固定種の千住ネギを栽培しているのだという。

こちらは、ジーンバンクから入手した「千住一本ネギ」で、区立小学校での復活の準備が整ったところなので、こちらの取り組みが一段落したところで、田中社長にお会いしたいからと、日程調整をお願いしていた。





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江戸東京野菜推進委員会事務局長の水口均さんを誘って、先日、舎人ライナーの高野駅で待ち合わせて、内田さんのお宅に伺った。

内田家は、現在切り花栽培をしているが、昔は水田以外に、野菜を栽培していたようで、昭和15年12月とある野菜問屋「平塚屋」との取引が記載されている青物(控)、通帳を見せてくれた。

かつては、ツル菜等のつまものと、ネギを栽培していたという。


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葱善の田中社長が先に来られていた。

お話を伺うと、田中社長は昔からの伝統野菜の千住ネギを、俺の代で無くすわけにはいかないと、F1種とは別に、千住ネギの固定種を、茨城の農家に依頼して作り続けていたという。
食育にも熱心で、台東区立金竜小学校、千束小学校、蔵前小学校で千住ネギの栽培をしていたが

千住ネギの故郷「足立区で栽培したい!」と云う思いが募っていった。
昨年、新たに取引が始まった足立区高野のそば屋「長兵衛」さんに伺った折、自家用にネギを栽培していた農家があったことから、そのお宅を訪ね土を手に取ると荒木田土、ネギ栽培には適地。そこでネギ栽培をお願いするが断られた。

そのお宅は花卉農家の榎本さん(屋号御頭)で、同じ足立の花卉農家内田宏之さんを紹介された。
内田さんは、江戸東京野菜の「本田うり」を栽培していることもあり、理解を得て足立での栽培が叶ったというもの。

通常は5月の中下旬に種を蒔くが少し遅れたそうで、1回土寄せを行ったという。






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内田さんのお宅にも、先代から受け継がれた固定種のネギがあり、屋敷の西側の畑で栽培していた。
毎年、タネを採り、翌年蒔いているという。
調べてみないとわからないが、場所柄、千住ネギの一系統と思われるが、今後、葱善さんに教えて戴こうと思っている。





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田中社長の「葱善」は、「江戸千住葱」で販売しているようで、固定種の千住ネギをお土産に頂いた。

上の画像をクリックする
千住ネギは、山形県の広大な農地で栽培していると、写真を見せてくれた。

固定種は揃いが悪いのはネギも同じことで、太いのは「鍋もの屋」さん、中太は「そば屋」さん、細いのは「焼き鳥屋」さんと、需要に応じて販売してきたという。

また、固定種の千住ネギは、抽苔してネギ坊主ができるが、1代雑種の交配種は殆んどネギ坊主はできない品種改良がおこなわれているという。

2月13日には、浅草神社に千住ネギの大束まるきを奉納するのだという。
因みに、浅草神社には、「江戸東京の農業」の説明板「檜前の馬牧」が建立されている。


追申


「先日、しあわせのタネの芝居を見に行ったでしょう」と聞かれた。

田中社長も行かれていたようで、劇団の人に「大竹さんは今帰ったばかりだと云われた。」と・・・。
昨年、この芝居を見てから、タネを大切に思う気持ちは同じだと、以後劇団を応援しているそうで、チラシの下に「株式会社 葱善」の名が掲載されていた。

田中社長とのご縁を大切にしたいものだ。
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