2015年11月29日

今年も「江戸東京野菜めぐり」が、京橋大根河岸青物市場跡から始まった。


一般社団法人 東京都農住都市支援センター主催による、平成27年度 農業まちづくり基礎講座「江戸東京野菜めぐり」の参加者が京橋大根河岸青物市場跡に集合した。

京橋大根河岸青物市場は、昨年生誕350年祭が盛大に執り行われたが、ご招待を頂いたことから当ブログで紹介している。



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京橋大根河岸青物市場で、青果問屋「三光山」を営んでいたのが、現在築地の東京シティ青果会長で東京中央青果(丸果)の石川勲社長の御本家。
そこで、ツアーの第1回から石川会長にご参加いただいて、昔の京橋大根河岸の話をしていただいているが、今年も興味深いお話を伺った。

上の画像をクリツクする
参加者を、記念碑の裏側に誘導して説明したが、
記念碑を建立したのは昭和34年、大店だった石川会長のご実家「三光山jは、一番上の段で「石川勲」の名も・・・。

建立当時、石川会長のお父上は亡くなられていたので、若くして石川会長の名前が記されたことから、現在碑に彫られている青物問屋のご主人の内、ご健在は石川会長おひとりになってしまったという。


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この青物市場、なぜだか大根がたくさん集まったところから、誰云うとなく「大根河岸」近くには「竹河岸」「薪河岸」などもあった。

紺屋橋の跡で、京橋川の幅員などを参加者に実感してもらう。

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大正時代に撮られた写真には、遠く紺屋橋が写っているが、辺りはビルとなった現在、当時の写真に写っている小宮山印刷を始め、三光ビルと云うのもあったので石川会長に伺うと、従兄が貸しビル業をしているとか。

京橋川にかかる紺屋橋の次が比丘尼橋だが、そこは外堀通りで、
廣重が「名所江戸百景 びくにはし雪中」を描いている。

この辺りは、そこここに、歴史を伝えるものが残っている。





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鍛冶橋からバスに乗って移動、日本橋の魚河岸跡を抜けて、清洲橋、そして万年橋の袂にバスを止めた。

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小名木川は、家康が江戸に来たときに最初に行った大工事。
戦国の時代に兵糧攻めを恐れて、行徳から塩を江戸に運ぶ一直線の水路をに開削している。

小名木川に架かる万年橋は、江戸時代には数々描かれている。
かつては、小名木川を上ってきて、万年橋の所まで来ると富士山が望むことができたという。

ダイナミックにうねる墨田川に、小名木川がそそぐ。
小名木川を通って早朝この地を通過する大根船は、右に大川を遡れば神田市場、流れに乗って下れば京橋大根河岸へと運ばれていく。

深川番所があったあたりも明暦の大火で焼け野原になり、以後、番所はこれから行く中川口に移された。

バスが停車している場所に戻る途中、芭蕉が住んでいたという庵跡の前を通りかかった。
芭蕉稲荷神社として祀られていた。





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小名木川と旧中川が交差する中川口船番所跡に皆さんをお連れした。
「入り鉄砲に出女」
江戸市中に船で鉄砲など武器が流入するのを防ぎ、また、参勤交代制度の中で、大名の奥方などは、人質的意味合いを持っていたから江戸から船で出て行こうとする女性を厳しく取り締まった。

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配布した資料には、安藤広重の中川口の絵を挿入しておいたが、中川口は小山でせき止められてしまった。

隅田川の上流部で度々発生する洪水に、明治44年、荒川の水量を直接東京湾に逃がすために荒川放水路開削に着工したが、それにより小高い山が築かれて船堀川は切断された。

この地には、中川船番所資料館があるが、周辺では中川そらまめのイベントが行われている。





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亀戸大根発祥の地、亀戸の香取神社では香取邦彦宮司に迎えていただいた。

こんもりとしていた桜の木葉は、落ち葉となって透けて見えるようになると、亀戸大根碑の真後ろにスカイツリーがそびえて見える。

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香取宮司さんの配慮で、社務所の2階をお借りして昼食。
香取宮司から、亀戸香取神社の由緒についてお話を伺ったが、天智天皇の御代に藤原鎌足公が亀戸のこの地に香取の大神を勧進して御鎮座したもので、来年は御鎮座1350年祭が執り行われると云う。

亀戸大根入った升本のお弁当、亀戸大根の味噌漬けも別途出され昼食。





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石川会長は、職員の勉強に毎回参加させてくれていて、今回は東京シティ青果からは渡瀬智彦係長、東京中央青果からは五十嵐司課長が同行した。

毎回、石川会長は甘い「愛媛みかん」を皆さんに差し入れてくれている。

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石川会長の肝いりで始まった「築地市場のやさいくだものツアー」は、先日テレビで放送されたことは当ブログで紹介したが、万と云う応募があったとか・・・・、

しかしそれは一過性だからと、石川会長は皆さんに参加を呼び掛けた。





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東京都農林総合研究センター江戸川分場にバスを止めて、近所の中代農園に亀戸大根の収穫体験に向かう前に、竹内純江戸川分場長から歓迎の挨拶。

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亀戸大根を栽培している、中代正啓さんが出迎えてくれ歓迎の挨拶。





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ハウスが狭いこともあって、2班に分かれて収穫体験。

亀戸大根は30センチほどの大根だが、水を切ってのハウス内での栽培は、思いの他、つちが固まっていて中々抜けない。
1人3本だったが、抜けない分、皆さん楽しんでいた。

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時間の関係で、ハウスを出たところで、仲代さんが栽培した伝統小松菜が配布された。





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江戸川流域にある小島啓達さんの小松菜ハウスでの収穫体験。

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小島さんの、小松菜栽培への思いを伺い、その後収穫体験。

中代さんの亀戸大根と違って、抜きやすい。

小島さんの小松菜は交配種の1代雑種、中代さんが栽培した伝統小松菜との食べ比べをしてその違いを味わってもらいたいものだ。






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小松菜命名が伝わる、新小岩の香取神社へ。
八代将軍吉宗が名付けた小松菜、かつて江戸川を主産地として近隣県で栽培されていたが、昭和40年代から1代雑種が普及したことから、全国各地、北海道から沖縄まで周年で栽培していることから、東京の伝統野菜だと知らない人も多くなっている。

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最後の目的地には、江戸川区総合文化センターの駐車場にバスを預けて、小松川・境川親水公園で説明。

かつてこの辺りが水田地帯だった頃の用水。
昭和40年代の高度経済成長時代には、水田地帯だったあたりは住宅地に変わり、下水道が発達していなかったことから、垂れ流し状態で家庭の雑排水が用水に流れ込み、悪臭漂うどぶ川状態となってしまったが、昭和57年頃より親水公園化され・・・。

中川の放水路、新中川からポンプアップされた水を流して、清流を取り戻している。

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参加者には、江戸東京野菜の伝統小松菜と金町こかぶのタネがプレゼントされました。

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栽培の手引き

追録


アンケートを見ると、スタッフへの感謝の気持ちが寄せられていた。

スタッフの皆さんご苦労様でした。(敬称略)
矢島清専務理事:統括
田中邦雄(全農東京都本部)専門講師:野菜相談・学識経験者
西川愛一郎部長:写真撮影・誘導
山下健一部長:誘導
楢崎明雄次長:香取神社担当
佐野誠課長:香取神社担当
佐藤優美子主任:連絡調整全般・誘導
森下里美主任:司会
梶谷奈央:誘導

このことは、日本農業新聞に掲載されました。




posted by 大竹道茂 at 00:36| Comment(0) | TrackBack(0) | イベントの紹介
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