鎌倉大根収穫祭の案内は、当ブログでも紹介したが、新聞報道やネットなどの情報もあって、大きな反響を呼んで、大勢の皆さんが鎌倉佐助の「福来鳥」に集まった。
当日は、地元コミュニティーチャンネルJ:COMの伊藤篤志さんや、共同通信横浜支社の吉川純代記者も来てくれて、賑やかな収穫祭イベントとなった。
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依頼されたトークショーは、鎌倉大根の試食を行ってからで、慶応の土肥梨恵子さんの進行で始まったが、鎌倉大根の根拠を説明する流れになった。
そもそもは「福来鳥」のある鎌倉市佐助の鎮守「佐助稲荷神社」に伝わる大根の古事「源十郎、弥十郎」による。
古事「源十郎、弥十郎」はパワーポイントで。
17年前、さとうえださんは、この地に店を開店した頃から、源十郎が栽培した大根の復活を夢見ていた。
そこで、鎌倉大根プランコンテストのゲストティーチャーに招かれた折には、神奈川の伝統野菜の他に、三浦半島の浜大根を紹介した。
そのあたりの詳細については10月に改めて伺った折りに書いている。
「正真正銘の鎌倉大根」については、「鎌倉大根未来研究所」の皆さんが、農作業については大田謙太郎さんの呼びかけで、休みのたんびに、佐助の試験圃に集まって、草むしり、播種、そして、それ以降の栽培管理と熱心に行っていた。
収穫祭の日には、神奈川県農業技術センターの原康明研究課長と、三浦の篤農家・高梨雅人さんもみえた。
高梨さんは、「やさい畑」(家の光)で指導もされているようで、現在発売中の表紙は、高梨さんの大根だと云う。
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このように大根の専門家も、興味を持って来てくれていた。
赤味噌に酒と砂糖、唐辛子を少々、これを付けて鎌倉大根を頂いた。
皮の近くは辛く、芯の部分は市販の青首と比べると硬めだった。
市販の大根と比べて厚みのある葉だ。
鎌倉大根の葉のポタージュ(左上)
鎌倉大根の葉をミキサーにかけて寒天で固め
材木座沖で獲れたシラスを乗せた。(写真左下)
鎌倉大根の菜飯(写真右下)
皮の部分も捨てずに、キンピラにするとして干していた。
県農業技術センター原課長から、ご自慢の「湘白」を提供していただき、牛スジ大根に料理された。牛スジは今半だとか
蒸しパン(左上)に、
大根ジャムは、エダさんの畑の青首ダイコン。
大根臭がなく、白いジャムはパンにぬっていただいた。
先代が鎌倉出身と云う江戸東京野菜コンシェルジュ協会の福島秀史理事も来ていたが、協会の仕事もあり試食をしてから帰られた。
同店の鷲崎あづささん(江戸東京野菜コンシェルジュ)には、写真撮影をお願いした。
同店ではえだ女将の友人、神崎典子さん、平山眞さんとも名刺交換をさせてもらった。
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大勢の方々がみえたので、会場からはテーブールを撤去して、椅子だけにしたために、皆さん思い思いの場所を選んで食べていた。
味の方は、大根料理の専門店だけにどれも好評だった。
絵本塾出版の尾下千秋社長(写真右下)が、千年太郎先生、伊東和子さんとで鎌倉大根の取材に来てくれていた。
15時からは、佐助稲荷神社上社に於いて、「鎌倉大根 奉納の儀」が菊地晋介宮司により厳粛な中で執り行われた。
奉納には、籠に入れた鎌倉大根と、えだ女将が栽培した青首大根、支援者のお神酒が用意されたが、神社では奉書に包まれた青首大根だけを祭壇に上げていたので、えだ女将が籠にあった鎌倉大根を1本祭壇に追加した一幕もあった。
鎌倉大根は、なぜだか奉書で包むことなく水引だけがかかっていたからのようだ。
収穫祭に集まった支援者の皆様。
上社から、長い階段を下りてきたところの下社の脇では、お祝いの「油揚げの巾着煮」が、来る人拒まずに振る舞われた。
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巾着の中には、えだ女将が栽培した大根と葉が、汁を吸い込み軟らかくなって入っていた。
これも美味しい。
J:COMでは、12月1日(火)18:00、20:30、23:30、に放送された。
また、共同通信が発信した記事は産経新聞に掲載された。
今回の講演は、都市農地活用支援センターから「農」のある暮らしづくりアドバイザーとして派遣された
収穫祭に参加された、横浜市本牧の地域作業所「えちご家」の方がタオルでつくった大根を持参されたので、えだ女将は店に置くというので1本購入した。
11時からの講演「刀匠正宗 第24代綱廣」は、鎌倉の地だけに大勢の皆さんが清聴された。