友人の坂井睦生さんから電話をもらった。何でも町田の伝統野菜「小山田ミツバ」の栽培が始まったので案内するからと云うもの。
坂井さんは、JA町田市の常任監事をされていた方で、私も現役時代は一緒に仕事をしていて、江戸東京野菜についても理解を戴き、小山田ミツバの復活にもなにかと尽力いただいている。。
昨年の8月に、上小山田地区で伝統のミツバが生えているところが見つかったことは、当ブログで紹介したが、JA町田市経済部ふれあい課の石井学課長は復活しようという強い思いを実現したようだ。
多摩・八王子江戸東京野菜研究会の福島秀史代表に連絡すると、ミツバ栽培を見てみたいというので一緒に行くことになった。
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当日は、坂井さんが都合を付けて町田市忠生にあるJAの経済センターまで来てくれていて、八木孝さん(ふれあい係) の運転で、上小山田地区を案内してもらったが、ここが東京かと思うのどかな景観だ。。
小山田ミツバは、切りミツバで、お正月に値良く売るために行う「軟化栽培」で、20年程前に栽培をやめたことから、放置されたままだった横穴で再び栽培が始まったというもの。
今回、復活した室(ムロ) は、上小山田町で農業を営む田中進典氏が所有するもので、石井課長が田中さんに頼み込んで実現したもので、畑で栽培するところから、室に入れての栽培まで指導を受けたと云う。
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室は、山の南斜面に横穴を掘ったもので、太陽の熱をうまく穴の中に導いて、室の内部を温めるような構造になっている。
八木さんが、密封している扉を開けて中を見せてくれたが、隙間が無いように、稲わらや、筵などで密閉されていた。
稲わらをどかしはじめると、燻した匂いが室の中からしてきた。
田中さんの指導によると、6月に畑に種を蒔いた。
種は、昨年竹林ののり面で発見されたものから種を採ったものと、種屋から購入した、固定種の種とを混ぜてから、播いたと云う。
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20年も放置していた室は、稲わらを燻しての燻煙により、住み着いた虫や雑菌を殺菌してから床をつくった。
今回室に入れるミツバは、11月25日に掘り上げたもので、根を振るって土を落とし、葉を切り落とし、何本かをまとめて稲藁で縛って、端から詰めていき、ジョウロでたっぷりと水をかけて室を密封した。
12月20日頃に切ることができるだろうと云う。
放置された別の室を覗いてみると里芋を保存したような跡もあった。
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大正4年から始まった上小山田でのミツバの軟化栽培は、最盛期には30ヘクタールもの畑でミツバが栽培され、室に入れられた。
昭和30年代、ミツバの水耕栽培が普及したことで値崩れを起こして、手間のかかる軟化栽培は行われなくなった。
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室の反対側の山、北斜面に湧水があった。
今回、小山田ミツバの栽培法が復活したことで、お正月の雑煮に入れて食べたらおいしいだろう。
楽しみだ。
帰り道、JA町田市育苗センターに寄ってみた。平成8年度町田市都市農業ブランド化推進事業として造られた施設で、東京都内でもここだけだ。
ここで育苗した「のらぼう菜」を売っていたので、福島さんは「植えるんだ!」と言って9鉢買った、「いいものが買えた」と喜んでいた。
JA東京あおばが普及している「雑司ヶ谷ナス」の苗は、ここで育苗したものだ。