2015年12月08日

「小山田ミツバ」の栽培現場を視察、収穫間近に料理人から注文が入る。


昨年の暮れ友人の坂井睦生さんから、町田の農家・鈴木喜美夫さんが、小山田ミツバを収穫している現場に立ち会っていると、電話があったことは、当ブログで紹介した。

その「小山田ミツバ」を、坂井さんは、押上「よしかつ」の佐藤勝彦さんに、贈ったことから、料理になったことも当ブログでは紹介した。

一度、鈴木さんにお会いしたいと、坂井さんにお願いしていたが、先日JA町田市の取り組みの取材と合わせて、鈴木さんのお宅に案内していただいた。
そんなところに、「よしかつ」の佐藤さんから坂井さんに電話が入った。

電話を代わってもらって、佐藤さんと話したが、今年も江戸東京野菜のお節をつくるそうで、その中に「小山田ミツバ」を使いたいという。




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鈴木さんは、作業場内に掘られた室(ムロ)の中で栽培していた。
室を掘ったのは先代で、さつま芋の保存用に使っていたが、昭和28年、ふたつの室を取り込んで作業場を設けたそうだ。

その後、10年ぐらいしてミツバ栽培を始めたとか、東京オリンピックの頃だ。

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作業場内には、軽トラが入っていたがその下にも室があり、そこはウド室になっているという。
屋敷内には、最高6個の室があったそうだが、4個は埋め戻したという。

3m下にある室に梯子で降りてきたのは多摩・八王子江戸東京野菜研究会の福島秀史代表。
始めて見る光景に、盛んにシャッターを切っていた。




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ウド室では見たことはないが、切りミツバの場合は水が必要なようで、鈴木さんは手づくりで室の中に水道管を引きこんでいた。

先日町田市の伝統的栽培手法による「小山田ミツバ」の復活を紹介したが、
上小山田地区の横穴式の場合は、室の中までまんべんなく太陽が当たる様な構造になっているが、

鈴木さんの場合は地下室だから、電燈を使っている。
今回、伺う前の一週間は電燈を点けていたという。





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室の中には、鈴木さんの他、私と福島さん、そしてJAの石井学ふれあい課長、八木孝さんが入って話を聞いた。

鈴木さんは、3条マルチで直播をしているそうだ。

畑で栽培した小山田ミツバを掘り起し、根を振るったものの生長点を残して切り、数株まとめて藁で縛り、それらを詰め込んである。

暗闇では茎が長く伸び、引き込まれた電燈の明かりで葉は鮮やかな緑に色付く。

一定の規格に伸びると、専用の鎌で刈り取るが、3回ぐらいだという。
今回は、5月10日に直播し、11月17日に掘り起し、根に着いた土を振るって23日に室に詰め込んだという。

かつては霜に当たって根株が休眠してから掘っていたが、最近は暖冬の影響で、十分に休眠していなかったようで、すぐに室に入れなかったから、芽が動き出してしまったうという。





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鈴木さんは「今年の八頭の形はいつもと違ってDNAでも変わったみたいだ」と云って石井課長に見せていたが、石井課長は「浅く植えすぎたのでは・・・」、鈴木さんは「いつもと同じだ」と・・・。





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作業場の裏に、半地下の貯蔵庫を見せてもらった、滝野川ゴボウや山芋が適度な湿度の中に整理されていた。
土物をたくさん作っているようだが、2トン車に積まれたユンボが威力を発揮しているようだ。
昭和40年代に使っていたトラクターが片隅で埃をかぶっていた。




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左から、八木さん、石井課長、奥様に鈴木さん、坂井さん。

鈴木さんには、立派な山芋と里芋を頂いた。
鈴木さんありがとうございました。



posted by 大竹道茂 at 00:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 江戸東京野菜と生産者達
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