2016年02月06日

加賀野菜に、海鮮料理で冬の金沢を堪能した。



北陸新幹線「かがやき523号」で、12時すこし前に金沢に着いた。

金沢駅には、
「金沢に来るなら、
春か、夏か、秋か、
冬が良いと思います。」
の垂れ幕。


30日に、金沢大学の「在来種と食を考える会」から招かれて来たが、そのことは、当ブログで紹介した。





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勉強会の会場「しいのき緑地迎賓館」に近いホテル「金沢ニューグランドホテル」で、31日、誕生日を迎えた。
Facebookは殆んどやっていないが、登録してあるから、多くの方からお祝いのメールが届いた。

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朝食は最上階の11階で、金沢市内が一望できた。
朝食のおかず、加賀野菜と能登野菜のコーナーには、料理には、分かるようにポップが付いていた。

五郎島金時(さつまいも)、加賀れんこん、一番生産量の多いものだ。
金時草は亜熱帯のものだから、温室栽培だろう。
能登野菜の中島菜は切漬けで。

「小松菜の胡麻和え」をみて、先に料理をとっていた関西弁の奥さんが「小松の野菜や!」と・・・。
何のことかわからなかった。

江戸川を中心に栽培されてきた小松菜が、チンゲン菜と掛け合わされてF1化したことで、北海道から沖縄まで全国で周年栽培されるようになったが、全国にはルーツまで知る人は少ない。

小松市で栽培しているかどうかは知らないが、関西弁の奥さんと同じように石川県小松市原産と思う人がいてもおかしくない。




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帰りの新幹線は、13:33発 「はくたか566号」なのでそれまで、荷物をホテルに預けて観光に出掛けた。

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玉泉院丸口から金沢城に入った。

金沢に来たのは、3度目、初めて来たのは大学3年の時だが、金沢城の中に金沢大学があると聞いていて、そんなこと改めて、冨吉先生や香坂先生に聞くこともなく、今までそう思っていた。

今回はじめて金沢城跡に入ったが、綺麗に整備された公園になっていて、大学の面影はない。

そこで、石川門の近くの休憩所で、係の人に聞いてみた。
なんと20年も前に山の方に移りましたと、昭和53年頃の写真を見せてくれた。





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石川門を出て、兼六園へ
入園料300円を払おうと小銭入れを探していたら、お幾つですかと聞かれた。
余計な事だったが、今日、誕生日で・・・。
65歳以上は無料ですと・・・。

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ことじ灯籠、霞が池に張り出す唐崎松等を見ていたら、観光客を引率した案内人が次々に来て説明をするので、それを聞いていた。

中国や韓国の観光客は多い。
何日か前の雪がわずかに残っていた。
遠くの山並みは、能登半島だと云う(写真上)。





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丸果石川中央青果(株)の岡嶋啓介常務からお聞きした近江町市場へも行ってみた。

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市場内には4〜5店の青果店があって、どの店にも加賀野菜の暖簾がかかっていた。

岡嶋常務のお話の通り、この季節は「五郎島さつまいも」と金沢小坂産「加賀れんこん」はどの店にも置いてあった。

山本青果店にワサビが並んでいた。
昨日お会いした白山の風さんのものかとよく見たら静岡産だった。
この時期は、暖かい静岡から入荷していた。

源助大根、金時草、金沢春菊、金沢セリも並んでいた。
早掘りの鹿児島産のたけのこが出回り始めていた。

これでは加賀野菜の「たけのこ」が出る4月末〜5月中旬のピーク時には、食べ飽きた感になると話されていたのが理解できる。





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「この場で食べらります」と云うので行列ができていた。

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ピカピカの「ボタンエビ」に、「カキ」「ウニ」「ホタテ」が並んでいた。
美味そうなので行列の最後に並んで、ボタンエビとカキを注文した。





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ご飯ものも食べたいと思って、寿司屋を探したが、どこも中国や韓国の観光グループが大勢並んでいてすぐ食べられる状況ではない。

市場に隣接した近江町いちば館の2階に上がったところで、一見高級感のある「近江屋伝兵衛」ですぐカウンターに座れた。

追録


前日の30日、丁度お昼に金沢駅に着いたので、食事をしたいと思ったが、どこもいっぱい。
仕方なく、タクシーでホテルに向かった。

ホテルのチェックインまでには時間があったが荷物を預け、

会場の「石川県政記念しいのき迎賓館」を聞くと、近くの尾山神社境内を抜け、お壕通りを右に行けば・・・と教えて頂いた。



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尾山神社の参道脇にある「じんや」でとりあえず昼食。
海鮮丼セットを注文。
水蛸、鰆、鮪、寒鰤、海老に、北陸金沢に来たことを実感した。


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尾山神社は、加賀藩の前田利家を祀っていて創建は明治6年。
境内には矢を防ぐ母衣を背負った戦場の前田利家像、
利家が被っていたとする金鯱尾兜が建立されていた。
posted by 大竹道茂 at 00:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 全国の仲間の話
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