2016年03月02日

すき焼ちんやの6代目が『浅草はなぜ日本一の繁華街なのか』を刊行した。


2月の初めに、浅草にあるすき焼きの老舗「ちんや」の6代目主人住吉史彦さんから、「個人的おしらせです。」と、ご本を2月25日に刊行するとのメールを頂いた。

浅草の9人の旦那衆と住吉さんの対談集だそうで、「浅草ならではの商人論」を目指した本でもあり、対談は浅草の9軒のバーで語り合ったことから「おとなのバー・ガイド」でもあるという。

住吉さんは、フードジャーナリストの向笠千恵子先生(江戸東京野菜コンシェルジュ協会顧問) が主宰する、「すきや連」の事務局長で、何かとお世話になっていることから、ブログで紹介したいと申し上げたところ、



3-5.JPG

出版社の(株) 晶文社から、「刊行披露会・すき焼き懇親会のおしらせ」が届いた。

上の画像をクリックする
同店4階の大広間で開催された披露会は、住吉さんの挨拶で始まり
晶文社の足立恵美編集部長から、「『浅草はなぜ日本一の繁華街なのか』の紹介があった。


2-1.JPG

座席には、ちんや創業百三十五年記念出版の「読み継ぎたい すき焼き 思い出ストリーの本」が置かれていた。

すき焼の思い出を一般から募集して纏めたご本。
私にとっても、すき焼きは特別なお料理だったが、誰にでも特別な思い出がある。



3-1.JPG

第四話 江戸の食文化として「どぜう鍋」を守る
「駒形どぜう」六代目 渡辺孝之さん(「ビー」にて)

駒形どぜう」は、当ブログでも紹介している。

六代目には初めてご挨拶するが、
江戸東京野菜の普及をしていると名刺を差し出しご本にサインを頂いた。

「六代目 越後屋助七」の名を代々継いでいるようで、本名は渡辺孝之さん。

「江戸の伝統野菜を使いたいと思っていたが、
どれが本物なのかわからなかったので・・・・」と云っていただいた。
ありがとうございます。

上の画像をクリックする
写真左から、
第二話 最大の危機は生鮨が主流となった頃でした
弁天山美家古寿司」五代目 内田正さん(「オレンジルーム」にて)
古典的な技法を守り、江戸前鮨の本来の仕事を次代に伝えているという。
いちど伺おうと思っている。

第三話 神さまの御霊を載せて町を守る神輿を作る
宮本卯之助商店」七代目 宮本卯之助さん(「スリーウッド」にて)
神輿となると宮本卯之助商店の名はあまりにも有名で、
ここで宮本さんにお会いできるとは思わなかった。






4-1チャ.JPG

第九話 「履物の町」浅草で職人がいる履物店
辻屋本店」四代目 富田里枝さん(「マーチ」にて)

富田さんにも、江戸東京野菜の復活をしていますと、名刺を差し出すと。
「知ってます。東向島の駅前商店街で寺島ナスを栽培していますね!」
とご存じで、嬉しくなった。

東向島は浅草の北西、隅田川の対岸に当り、
かつては寺島と呼ばれた地域で、江戸の頃は向島の料理屋や浅草にも
「寺島ナス」は出荷されていた。

上の画像をクリツクする
第八話 ごはんにも日本酒にも合うのが洋食
写真左上 「ヨシカミ」二代目 熊澤永行さん(「フォス」にて)
ハヤシライスと云えば「ヨシカミ」で、一度伺ったことがある。

第六話 牛のヨダレのごとく商いを続ける
写真右上 浅草おでん「大多福」四代目 舩大工安行さん
(「オクラ・イズ・バー」にて)
伝統大蔵だいこんも、終わってしまったが、
おでん向きのダイコンとして復活したので今度試食してもらおうと
思っている。

第七話 浅草六区には夢がある
写真左下 「浅草演芸ホール」二代目会長 松倉久幸さん
(「フィガロ」にて)


当日は、店が空けられないと欠席されたのは
第一話 世界に唯一の「江戸趣味小玩具」の店
「助六」五代目 木村吉隆さん(「バーリイ・浅草」にて)

第五話 芸どころ浅草の花柳界を支える
割烹家「一直」六代目 江原仁さん(「フラミンゴ」にて)





6-1-0.JPG

上の画像をクリックする
乾杯の発声は、向笠先生で、お昼と云う事もあり、
昔懐かしいラムネが用意されていた。






7-1.JPG

少し早く着いたので、写真の撮りやすい位置に席をとったが、

お近くには、浅草おでん「大多福」の四代目舩大工さんと神輿の七代目宮本さんもいらした。

前のお席が、すきや連でよくお会いする、平凡社の松井純さんで、私のお隣が編集者の土居秀夫さんだった。

上の画像をクリックする
昔から「ちんや」に千住葱を納品している、千住葱雅の岡本健司さんが訪ねてくれて名刺交換をさせてもらった。

新日本風土記アーカイブス「すき焼きのわき役 ねぎ」で「ちんや」に納品する岡本さんが紹介された。(2020年)






8-1.JPG

住吉さんがご挨拶にみえたので、サインをお願いした。

上の画像をクリツクする

住吉さんのおかげで、新たな出会いもあった。
そだてびと/コラムニストの柴田明彦氏、多機性工房(株)の後藤真理恵専務、編集・ライターの磯野亜希子さんとも名刺交換をさせてもらった。




9-0チャ.JPG

上の画像をクリックする
雷門から、雷門通りを西に15秒の4軒目が「ちんやビル」。

同店の箸袋に「浅草の歴史」が掲載されていた
628年 檜前兄弟が隅田川で浅草寺のご本尊を発見。
1590年 浅草寺が徳川家の祈願時に。以降寺運興隆。
1657年 遊廓吉原が幕府の政策で浅草日本堤へ移転。
1843年 江戸歌舞伎三座が、浅草猿若町へ移転する。
1873年 浅草寺の境内が日本初の公園に指定される。
1887年『吾妻橋』が開館。隅田川で初めての鉄橋。
1890年「凌雲閣」が開館。当時日本随一の展望台。
1903年「電気館」が開館。日本初の常設の映画館。
1917年 浅草オペラが上演される。熱狂的な流行。
1927年 日本初の地下鉄が、浅草と上野の間に開業。

江戸東京の歴史は浅草から始まっていたのだ



posted by 大竹道茂 at 00:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 出版物・メディヤ等の紹介
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック