月末の忙しい時に福岡に行くことになった。
一週間前に、熊本にお邪魔したばかりだったが、丁度、桜の花が咲き始めだったが、寒い日が日本列島を襲っていたから、今、福岡は桜が満開だった。
福岡には、一昨年に仕事で来たがそれ以来で、今回も農産物の直売所等をめぐって歩いた。
九州自動車道みやま柳川ICより車で約5分の所にある、
「道の駅みやま 特産品直売所」に立ち寄った。
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昼を過ぎてからなので、品数は少なくなっていたが、小松菜の生産農家が出していた。
東京の江戸川周辺を産地として栽培されていた地方野菜だったものだが、昭和50年代に交配種が出来たことから、全国で栽培されるようになった。
こちらのポップには、丁寧に小松菜の事が書いてあり、「豆知識」として、「東京都江戸川区小松川が原産地・・・」とあった。
「ビタミンB2は野菜の中でもトップクラス!、カルシュウムは、ほうれん草の5倍!」とも・・・
長崎県にある農林水産省果樹試験場で、清見とポンカンの交配で1972年に誕生した品種。
先週熊本で不知火とかデコポンとか言っていたが、最初に栽培が始まった熊本県の不知火町(現宇城市)で、命名されたもので、福岡では一定の基準をクリアしたものは、JA熊本県果実連が商標登録をもつブランド名『デコポン』で販売しているという。
「みやま」は、熊本県とも近いことから、栽培されれているようだ。
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米ナスは、アメリカのブラックビューティという品種とされているが、種苗会社が交配種を出している。
孟宗竹の筍は、鹿児島から伝わったものと思われるが、朝掘りの筍がたくさん出荷されていた。
折れたりして出荷できなかったレンコンを無駄にしない農家の知恵。
切り干しれんこんは、戻すと味が良く沁みて美味しい。
歴史文化が今に伝わる水郷の柳川まで足を延ばした。
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柳川藩主立花邸前の船着場から、お堀めぐり、川下りの舟に乗って45分のコース、
立花邸の周りの水路を、船頭の歌や話を聞きながらゆっくりと・・・・、
川下りと云っても、流れはあまり感じられず、むしろ「お堀」。
柳川藩主立花邸御花は、元文3年(1738)、柳川藩5代藩主・立花貞俶が、家族と寛ぐために柳川城の西南に造営した「御花畠」屋敷にはじまるという。
以後、歴代藩主の住まいとなっていた「御花畠」は、大政奉還により地方大名から伯爵となった14代当主・立花寛治が、新たに邸宅と庭園を造営している。
明治43年(1910)に完成した、洋館と和館に松涛園が建設された伯爵邸。
洋館はもとより、和館内の廊下や畳の部屋もシートが敷かれて、土足のまま入れるようになっていた。
外国人観光客が増加している中で、洋館と和館によって、靴を脱いだり穿いたりは不便で、配慮されたもののようだ。
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立花家のお姫様のお雛様と、吊るし雛が、3月いっぱい飾ってあるようだ。
常緑の松が美しい「松涛園」は、当時の姿を留め、今も「御花」と呼ばれている。
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都内に残る大名庭園とも違う、スケールの大きさを感じさせる造りの伯爵庭園は・・・。
手入れの良い松と、大海に浮かぶ島々を、数えきれないほどの奇岩が表していた。
造園技術を駆使した、贅を尽くした庭園で、素晴らしいものを見せてもらった。
戦国時代の勇将としで名高い立花宗茂を初代藩主とし、江戸時代を通じて柳川藩11万石を治めた。
洋館・和館・松涛園と、7000坪の敷地に立花家300年の歴史が詰まっていた。
その歴史を伝える5000件の美術工芸品を収蔵・展示する立花家史料館に収められていた。
今年の初場所で優勝した大関琴奨菊の故郷が、柳川だったのだ。
立花家の記念館入口に、白鵬を破った大きなパネル写真が展示してあった。
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大関昇進を記念して販売されたようで、焼酎と清酒が販売されていたが、清酒を買ってきた。