2016年04月07日

博多の料亭「稚加榮」で、季節の「白魚」の、のど越しを愉しんだ。


柳川の歴史文化にを体感してきた話は、先日紹介したが、帰りに高速に乗る前に、JAふくおか八女の「よらん野 農産物直売所」に立ち寄った。

16時になろうとしていたから青果コーナーは残り物がぱらぱらとある程度だったが、それはそれて地方品種がないものかと、探してみた。




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九州には、大きいナスがいろいろある。
博多ナスは、「築陽」を博多なす技術協議会が設定した栽培基準をクリアしたものを、博多ナスとして、福岡県産ブランドで販売しているというもの。

「タキイ交配」だから周年栽培で、冬から春にはハウス栽培。梅雨は雨よけ栽培、夏から秋には露地栽培。

季節柄、シダ植物の新芽の「わらび」に「ガンソク」が出ていた。
雁足とあるが、「こごみ」のようだ。
ふだん草、大葉の単位で売られていた。

「博多な花 おいしい菜」は、洋種なばなの側枝を欠いたものだが、江戸東京野菜の「のらぼう菜」に似ている。
何でも、秋から初春にかけて生産され、首都圏を中心に出荷されている云う。知らなかった。



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「博多あまおう」は、平成13年に試作が始まり、14年に福岡S6号を、あかい、まるい、おおきい、うまいの頭文字から、「あまおう」と名付けた

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こぶたかな」は、雲仙こぶ高菜が有名で、茎にコブが出来て、そこが珍味だという。
何でも昭和21年、中国から引き揚げてきた際に導入したとか・・・

JAみなみ築後の、瀬高町セルリー部会は、44年の歴史をもち、設立時代の「セルリー」の名前が付けられているが、一般的には「セロリ」で、116名の生産者によって栽培されてる。
生産量は長野県、静岡県に次いで、全国3番目となっている。

セルリーと云うと何年か前にお亡くなりになった江戸川区の伊藤仁太郎さんが、戦後すぐ独学で栽培を始め、日本一のセルリーとして有名だったのを思い出した。その後、セルリーはどうなったんだろうか・・・・




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夕食は、楽しみにしていた博多の料亭『雅加榮』をセツトしてもらった。

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店に入ったら広い店内に、生簀が並んでいた。
佐賀関直送の関あじ、石鯛、伊勢海老、あらかぶ、白魚、あわび、栄螺(さざえ)、いか、と・・・。

昭和36年に福岡の炭鉱王中島徳松氏の持家を改装し鳥料理店を創業、高度経済成長期の後、昭和48年に博多料亭稚加榮として新装開店したという。




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季節の料理として「白魚」を注文。

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「ぼうふう」と海藻が浮いていたが、その陰に隠れるようにして、白魚が元気よく泳いていた。
金網ですくって、ポン酢の椀に入れて、一匹ずつ飲み込んだが、喉越しに、白魚の尻尾がはねながら・・・・胃袋へ。





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博多/料亭 稚加榮の辛子明太子は、空港でも販売している。

「さんまめんたいこ」と「いわしめんたいこ」は、料亭の技を生かした稚加榮ならではの商品とか。

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煮魚や、ワサビの葉と中トロを一緒に巻いた巻き鮨等、珍しいものも頂いた。





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帰りに本館の玄関口に・・・・、そこにはお雛様を飾ってあった。

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ホテルに戻るのにタクシーを利用したが、福岡城跡の夜桜は、ライトアップされて見事だった。

posted by 大竹道茂 at 00:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 全国の仲間の話
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