2016年05月06日

駒形どぜう 六代目越後屋助七さんにお会いした。


浅草の、「駒形どぜう」六代目越後屋助七こと渡辺孝之さんには、、すき焼きの老舗「ちんや」の六代目主人住吉史彦さんの「浅草はなぜ日本一の繁華街なのか」刊行披露会に招かれた席上でお会いした。

同書の、第四話に、「江戸の食文化として「どぜう鍋」を守る「駒形どぜう」六代目 渡辺孝之さん」として、紹介されていることは、当ブログで紹介した。

あの時は、渡辺さんがお見えになったので、頃合いを見計らって、失礼ながらお傍に行って名刺交換をさせていただき、同書に越後屋のサインも頂いて、親しくお話をさせていただいたが、後日、お手紙を頂いた。




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何でも、「駒形どぜう」で、2か月に一度開催している「江戸文化道場」、6月6日の第191回に江戸東京野菜について皆さんにお話してくれと云う依頼だった。

上の画像をクリックする
六代目の渡辺さんが企画して始まった駒形どぜうの「江戸文化道場」は、昭和61年の第1回から30年の歴史を誇る有名な文化活動だが、これまで著名な方々が出演されていて、100名からの会員などを集めて開催していると云う。

先日、打ち合わせに伺ったが、講演では「江戸東京野菜には物語がある」をテーマに江戸の頃のお話を幾つか紹介しようと思っているが、浅草の大旦那からのご指名は名誉なことだ。

帰りに写真を1枚お願いしたが、「こんな格好だから!」と躊躇されていたが、無理やり写真を撮らせていただいた。

これからは三社祭(5月13日(金)・14日(土)・15日(日)) があるので、それが終わらないと準備の手が付かないとも話しておられた。



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江戸文化道場で配布される資料を頂いたが、暖簾の「どぜう」の謂れが書いてあった。

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20数年前、上司に連れて行ってもらった時に購入した五代目越後屋助七の「駒形とぜう噺」には、この事が詳細に書いてある。

要約すると、文化三年寅年(1806)に江戸市中を灰燼にした大火に巻き込まれて全焼、その後再建して開業に当たり、観音様の参詣客を「アッ」と云わせようと、当時有名な看板書き初代撞木屋仙吉に「どぜう」と書かせたものだとある。

はじめ仙吉は、「どぢやう」か「どぢよう」でないと一生の恥じになるから書かないと断ったと云う。
「看板書きも一流となるとなかなか権威があるものとみえる」とある。


posted by 大竹道茂 at 00:23| Comment(0) | TrackBack(0) | イベントの紹介
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