2016年05月09日

駒込ナスの農業説明板が建っている 駒込の富士神社を久しぶりに参拝した。


先日、駒込に行く用事があったので、東京メトロ南北線に乗らずに本郷通りを歩いてみた。
平成9年に「江戸東京の農業」の説明板、「駒込ナス」を建てさせてもらった、富士神社に久しぶりに参拝した。

富士神社は、天正元年(1573)に本郷村の名主木村万右衛門と牛久保隼人の2人が、夢に木花之佐久夜毘売命の姿を見て、翌年駿河の富士浅間社を勧請した。

寛永6年(1689)に、加賀前田候が上屋敷(現東京大学構内)を賜るに当たり、その地にあった富士浅間神社をこの地に移したと云う。





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社伝によれば、延文年間(1356〜61)には、すでに現在の社地は冨士塚と呼び大きな塚があったという。

江戸期には富士の浅間神社にお参りに行く富士講が盛んになり、近くで富士参りができるようにと、富士の山を模した小山が作られ、頂上に浅間様が祀られた。

同社は氏子を持たずに、富士講の組織で成り立っていることから、ふだん御社殿や社務所などは鍵がかかっているが、
富士山の山開きである6月30日〜7月2日には、山開きの例大祭が行われ、この日ばかりは、石段下の広い境内に多くの露店が出て、参詣者でにぎわう。





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駒込ナスの説明板は、石段右の柳の脇に建っているが、日頃、管理する者がいないからか、執ように何かをぶつけたような傷が付いていた。残念!

上の画像をクリックする
説明板に記された「新編武蔵風土記稿」には、上駒込村の項に「・・・茄子土地ニ宜ヲ以世ニモ駒込茄子ト稱す」(・・・茄子土地によろしきをもって 世にも駒込茄子と称す)とある。

駒込ナスは、丸ナスと聞いているが、駒込ナスは消滅してしまったのか、まだ見つかっていない。

江戸で栽培されていた農産物は、巣鴨のタネ屋街道で販売されて、江戸みやげとして、全国に持ち帰られた歴史があるから、まだ望みは棄てていない。



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駒込ナスをむく浮世絵が残っている。

上の画像をクリックする

「江戸志まん名物くらべ」の「志」に濁点をふって「江戸自慢名物比べ」と読ませ、「古」の変体仮名等を使って「こま込のなす」と読ませている。

追録

近くには、江戸三大市場の一つ「駒込土物店(つちものだな)」があり、

新編武蔵風土記稿には、茄子として「駒込邉ヨリ産スル物 美味ナリ 其内形殊ニ大ニシテ佗品ニ異ナルアリ夫等ヲ 駒込土物店トイヘル市場ニ持出テ鬻ケリサレハ駒込茄子ト稱シテ賞味セリ」とある。

文京区立誠之小学校の授業で話している。

農業説明板を設置した神社の幾つかに、富士山信仰から構築された、富士塚が残っている。

「品川カブ」の品川神社にある富士塚からは、江戸前の海が臨めたという。

「鳴子ウリ」の成子天神社にある富士塚は、高層マンションに囲まれた。

尚、文京区には、護国寺の「音羽の富士」と、白山神社の「白山の富士」がある。

posted by 大竹道茂 at 00:16| Comment(0) | TrackBack(0) | その他関連情報
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