駒形「どぜう」の創業は、徳川十一代将軍家斉の享和元年1月で、今年で215年の歴史を誇っている。
同店の六代目越後屋助七こと渡辺孝之さんが、五代目時代の昭和61年、「江戸文化道場」を開催、江戸の文化を次代に伝える文化活動として、毎回、江戸の文化に詳しい講師を招いて今年で30年、190回の歴史を重ねている。
今回、191回の講師として招かれた経緯については、当ブログで紹介しているが、三社祭も終わった浅草、6月6日に同店の地下会場に100名からの会員などを集めて開催された。
当日は、会場のセッティングもあり、1時間前に会場の駒形「どぜう」に伺ったが、すでに店の前には常連客の行列ができていた。
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店の入り口には「江戸文化道場」講師陣の提灯がかかっているが、同店前の江戸通りを挟んである、大嶋屋恩田の江戸手描提灯で、私のも作っていただいた。
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会場は同店の地下で、テーブル席の間に椅子席なども設けて、いっぱいの100名からの会員など、お客様が席に着いた。
行列を作っていた常連さんは、スクリーンの見やすい場所に席を取るためだったようだ。
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6時半から始まったが、第1回から司会を務めていると云う講談師の宝井琴梅師匠が拍手に迎えられて登場。
皆さん琴梅師匠の講談のさわりを楽しみにしているようで、演目「小松菜の由来」の一説を語られた。
席亭の六代目助七さんが、開会のごあいさつ、引き続き「江戸文化道場」へ皆勤賞の会員に表彰状と記念品の授与された。
琴梅師匠の講談や表彰式など、お客様にとってのお楽しみが30分ほどあってから、琴梅師匠から紹介されてステージに上った。
六代目も琴梅師匠も、粋な浴衣姿だったが、江戸文化道場というので、「橘」の半纏を用意していった。
演題は「江戸東京野菜には物語がある」でパワーポイントを作っていった。
枕で、現役時代に企画した農業説明板が地元浅草神社にもあることを紹介してから本題に入った。
「暴れん坊将軍の八代将軍吉宗は鷹狩で小松菜と出会った。」
琴梅師匠が語った命名のところは除いて、現在皆さんが食べている小松菜は交配種で、主にチンゲン菜との掛け合わせだと・・・・。
「浅草の北東・隅田村には四代将軍家綱の御前菜畑があった。」
周辺の寺島村では寺島ナスが栽培されていて、東向島駅前商店街では寺島ナスの栽培がおこなわれている。
「江戸の漬菜・三河島菜は伊達藩の足軽が仙台に持って行った。」
「摂津の農民が砂村で育成した葱が隅田川を遡って千住に、」
千住ネギの栽培復活が足立区で始まったが、足立区立の小学校でも行っている。
「ウドは尾張からやって来ました。」
講演が終わると、お客さんは、地下室から、4階までの客室に席を移して、どじょう鍋を楽しむと云う趣向。
講師ということで、琴梅師匠(写真右) に案内されて4階の部屋に案内された。
六代目は、経営を息子さんの渡辺隆史社長(写真左)に譲っていて、ご挨拶に来ていただいた。
当日は、食の情報を動画配信する「フードボイス」から黒川勝生ディレクターが取材に入った。
六代目へのインタビューも行っていて、一緒にどじょう鍋をいただいた。
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六代目の配慮で、江戸東京野菜のウドの酢味噌和えを出してくれた。
どじょう鍋の食べ方には、皆さん流儀がある。
まず、鍋の上にネギをうず高く盛る。
ネギが煮えて来たら、これに七いろ唐辛子と、山椒を、竹筒の栓を抜いて振りかけるが、琴梅先生の流儀では、事前に取り皿に七いろと山椒を取っておき、それにつけて食べるのだと教えてくれた。こだわりだ。
気が付いてが、同店では、七味とは言わずに、江戸の昔から七いろと云っているのに、嬉しくなった。
琴梅師匠も初めて師匠の五代目宝井馬琴さんに連れてきてもらったとき、どじょうに箸を伸ばしたら、「どじょうから食べるのは10年早い」と叱られ「ネギを食べてろ!」と言われたという。
私も初めて上司に連れてきてもらったとき「ネギはお代わり自由だから、割り下で煮えたネギから食べろ!」と・・・・・。
様子が分かったので、その後は煮えたネギで包むようにしてどじょうを食べたものだ。
その後、「関東甲信地区の部課長会議」を主催したとき、終了後に浅草を案内したが、昼食は同店のどじょう鍋にして、上司の流儀を皆さんに伝えたものだ。
どじょう汁は、どじょうの丸が何匹も入っている。
このどじょう、大分で温泉を利用して育てられたものと聞くが、震災で産地はどうなったのだろう。
心配だ。
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お酒は先代の五代目助七がめぐり合った「甘・辛・ピン」の逸品伏見の「ふり袖」。
辛目のどじょう鍋によく合うと勧めてくれた。
滝野川ゴボウの「ササガキ」を琴梅師匠が注文してくれた。
鍋に乗せて頃合い良しと、ゴボウに箸を伸ばしたら、「まだまだ!」と師匠に叱られてしまった。
ゴボウはべっ甲色になった時が一番うまいのだという。
「鯉のあらい」も出てきたが、これも旨い。
今回も新たな出会いがあった。
蔵前「鈴梅」の鈴木勝也会長が農大の先輩というので、あいさつに来てくれた。
また、アサヒビール吾妻橋支店の中村圭支店長、千束の木材業今村充男社長、(株)エスケーの坂口幸治社長の常連さんと名刺交換をさせてもらった。
六代目は、現在雷門近くに「炭火やき鳥 百八つ」を経営している。
老舗の旦那に安住しないで、常に職人気質で第一線だ。
9日から、フランスに江戸蕎麦の普及で「蕎麦打ち」に行くと云っていた。
行ってらっしゃい!>
後日、浅草葱善の田中庸浩社長から電話をもらった。
地元浅草の話題として、葱善が浅草神社に千住ネギを奉納し、御下がりを参詣者に配った話をしたが、
当日「どぜう」に友人と来られていたご近所の奥様がご覧になって、報告に来られたという。

駒形どぜう、いせ源、更科堀井、などは当ブログでも紹介しているが、
江戸から明治初期に創業した老舗グループ
「東都のれん會」の額が会場に掛かっていた。
後日、当日の模様はフードボイスから動画配信されました。
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