フードジャーナリストの向笠千恵子先生が旗振り役の「すきや連」の例会が、多摩の地で初めて開催されることは、当ブログで紹介したが、
江戸東京野菜コンシェルジュ協会顧問を引き受けていただいている向笠先生から、この季節に収穫できるものがあったら、すき焼きの「ざく」として使っていただいたらとのアドバイスをいただいた。
向笠先生のお口添えもあったようで、先日納品させていただいた。
同店は、石垣島黒毛和牛(JA石垣牛)にこだわっている。
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跡取り娘として若女将修行中の慶子(きょうこ)さんとよし江女将。
大洞敏男社長は、日頃、お客様を乗せている人力車を引くパフォーマンスを見せてくれた。
また、すき焼きの「ざく」として「東京うど」を出していただいた。
例会は、浅草「ちんや」のご主人住吉史彦事務局長が、恒例の拍子木で木が入ってはじまり、
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住吉事務局長から、中川畜産の中川吉明社長が5月31日に亡くなられたということで、全員黙祷。
故中川社長には、近江に伺った折、牛を見せていただいたし、京都でも親しくお話をさせていただいた。
向笠先生の開会のあいさつがあり、江戸東京野菜の東京うどと馬込半白キュウリが出されることをお話ししていただいた。
先生は、会場に来る前の時間を使って、国分寺市の小坂良夫さんの畑によって馬込半白キュウリを購入されたようで、国分寺の広い農地に驚いていた。
また、八王子市では、磯沼ミルクファームに寄ってこられたようで、磯沼正徳さんにお会いしたと話しておられたが、その行動力には驚かされる。
引き続き、同店の大洞社長の挨拶があった。
店主の大洞社長から、卓話の講師として八王子地域史研究会を主宰する地域史の研究家奥村春夫先生が紹介された。
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卓話のテーマは、「八王子の歴史(八王子城落城から新八王子町建設まで)」
明治7年の甲州街道を中心の地割図が紹介され103番目に「坂福」があることも紹介された。

乾杯の発声は、髭男爵こと、新橋「今朝」の藤森朗社長が行った。
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日本酒の古酒で乾杯を行ったが、早速、お料理が出された。
先付け、お造り、鮎の塩焼き
江戸東京野菜の「馬込半白キュウリ」の酢の物と・・・
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東京ウドは、酢味噌和え、スイーツにはシロップにつけた甘いウドが出された。
馬込半白キュウリは、多くの方々が初めて召し上がったようで、交配種のキュウリでは味わえない、ぱりぱりした食感が好評で、お代わりを頼んだお客様もいたようだ。
坂福に、江戸東京野菜のプレゼンに来た時に、八王子の花柳界で57年ぶりに芸妓の卵である「くるみさん(18歳)」が「半玉」としてデビューするお祝いを坂福をはじめとする「黒塀の会」が主催したそうで、
そのお披露目会に鶴瓶さんが出席し激励をしたのを、6月20日の、NHKテレビ「鶴瓶の家族に乾杯」で、放送するから、見てほしいと云われたので見た。
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同店の大洞社長は、花柳界は、八王子の一つの文化で、継承しなければと、力を入れていることから、宴たけなわの中で、皆さんが踊りを披露した。
全員が写っている右上写真から、右の太鼓・成華(せいか)さん、菜乃佳(なのか)さん、半玉のくるみさん、ひさ丸さん、三味線は芸妓さんからおかあさんと呼ばれている置屋「ゆき乃恵」の女将恵さん。
すき焼きの「ざく」として、東京ウドが出された。
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お肉をいただいた後、長ネギ、玉ねぎ、春菊、焼き豆腐、麩と一緒に、別皿に東京ウドが出された。
すき焼きの汁を含んで、とてもおいしくいただいた。
すき焼き店を経営している皆さんに聞いてみたが、皆さん「美味しい」と喜んでいただいた。
東京会館「八千代」日本料理の鈴木直登調理長にも久し振りにお会いした。
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右上・今朝の藤森朗社長、銀座吉澤の吉澤直樹社長、吉澤雄介専務
右下・いわき市米専門店相馬屋の佐藤守利社長とスナップ写真を撮っていたプロカメラマンの齋藤雄輝さん。
老舗は、保守的でなかなか新しいものは使いたがらないものだが、「東京うど」と「馬込半白キュウリ」の活用は大洞社長の英断で、席にお礼に行ったら、美味しいと喜んでいただいた。
会場では、四日市柿安の赤塚直子社長、鎌倉市の(株)松喜屋の星南子社長、九鬼産業(株)の九鬼紋七会長、かなわ水産(株)の三保達郎社長と名刺交換をさせていただいた。
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宴会の締を、大洞社長が行い。
その後、向笠先生を自慢のひとり乗り人力車に乗せて二次会会場の「すず香」に向かった。
23回は、松坂の牛銀だったが、ブログ掲載は19回の常盤館だった。