先日、練馬区立光が丘秋の陽小学校に伺ったことは、当ブログで報告したが、同校に隣接する田柄地区で学校給食に昔から協力している吉田茂雄さんに電話をして、現状を伺っていた。
その時、吉田さんから、今年の宮中新嘗祭献穀事業で精粟の耕作をしていると伺った。
私も現役時代に担当していたので、そのうちに伺いますと云っていたが、
次の儀式「抜き穂の儀」が、9月25日(日) に執り行われると云うが、生憎、先約が入っているので、小雨が降っていたが急きょ、先日写真を撮りに伺った。
宮中新嘗祭は、2千数百年の歴史がある宮中でも第一の重儀で、新嘗祭に伴う献穀は、農家を励ますことから始まり、戦後各県の農家代表が自主的に精米1升と精粟5合を献納することとなった。
今年、東京では西多摩地区から精米が、東京区内が精粟で、中でもJA東京あおばの正組合員、吉田さんが東京都代表として耕作している。
今年の天候が不順だったこともあり、この時期、まだ穂に青さが残っていた。
サブ圃場として、隣のハウスでも栽培していたが、こちらは完熟の様だった。
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献穀の奉耕者は、播種から抜き穂の儀までの3カ月というもの、気が抜けない日々が続いていたようで、
吉田さんご苦労様でした。
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お茶でもと云うので、いただきながら吉田さんのご苦労をねぎらったが、
播種祭のアルバムができていたので、見せていただいた。
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6月23日の播種祭当日は、吉田家では若い者にと云うことだったらしく、吉田さんのお母さんはお着物で、吉田さんと地元JA東京あおばの組合長榎本高一組合長が烏帽子と白丁の装束、奥様と二人のお嬢さんは早乙女姿で臨まれた。
式典後は、ホテル・カデンツァ光が丘で、祝賀会が行われたようだ。
吉田さんは、お父さんの梅男さんがご健在の頃から存じ上げているが、
平成15年(2003)に、学校給食の取り組みが優れていたと、地元練馬区立田柄小学校が文部科学大臣から感謝状を受賞したが、生産者としてその一翼を吉田さんが担っていた。
現在、練馬区7校、板橋区4校に野菜を供給しているという。