2016年10月09日

内藤清成の愛馬を、内藤町1丁目の多武峯内藤神社に尋ねた。


内藤トウガラシと内藤カボチャが生まれた国民公園協会・新宿御苑は、江戸時代は、信州高遠藩 藩主内藤清成の屋敷地であった。

先日、内藤頼誼十七代当主に、おもしろいお話を伺ったが、その屋敷地は広大だった。
その謂われが、新宿御苑の東、内藤町1丁目の内藤神社にある駿馬塚の屋外説明版に記されている。

清成は、三河国岡崎生まれ。徳川家康に小姓のころから仕え、家康の江戸入府にあたっては鉄砲隊を率いて先陣を務めた。




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家康は、家臣達との座興と思われるが、馬術に長けた清成に・・・・。

上の画像をクリックする
説明版には
「徳川家康は江戸入府後、家臣の内藤清成を呼び、現在の新宿御苑一帯を示し、「馬でひと息に回れるだけの土地を与える」と語ったという。
清成の乗った駿馬は、南に千駄ヶ谷、北は大久保、西は代々木、東は四谷を走り、疲れ果て死んでしまったので、大樫の下に埋めたと伝えられている。
後に、内藤家の森林の管理役となった中家休昌と木下正敷が文化十三年(1816) 八月に樫の古木の後に塚を造り、駿馬塚の陽を建てた。
碑はその後、明治五年(1872) 九月に現在地に移されたものである。
  平成五年十一月       東京都新宿区教育委員会」とある。





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この話は、「新宿の農業」の話をするときには、必ずパワーポイントでお話しするが、まだ行ったことがなかったので、出かけてみた。

総武線の千駄ヶ谷で下車して、新宿御苑に沿って内藤神社に向かった。

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多武峯内藤神社がそれで、もとは屋敷内にあったお社だったが、内藤家が屋敷を明治政府に返したことから、この地に移されたもの。

拝殿の右に駿馬舎があり、愛馬の白馬(木像) が収められていた。



posted by 大竹道茂 at 00:28| Comment(0) | TrackBack(0) | その他関連情報
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