2016年10月25日

全国紙「農業共済新聞」の高橋英樹記者に鎌倉大根を取材してもらった。


昨年の12月、公益社団法人全国農業共済協会が発行する農業共済新聞の一面「ズバリ直言」を書いてくれと、田澤宏志編集長から依頼されたが、お約束が今月で終わることから、原稿担当の邑上誠知記者に送り終えた後、お礼のご挨拶に千代田区一番町の田澤編集長のもとに伺った。

田澤編集長には、江戸東京野菜の取り組みを始めた頃からお世話になっていて、今回、同協会広報部の皆さんにご挨拶をしたら、2008年1月1日号で練馬大根引っこ抜き競技大会を書いてくれた下山隆雄記者は部長になっていた。

2009年に寺島ナスの復活では、岡浩則記者が書いてくれていて、久しぶりにお会いした。

担当の邑上記者には初めてお会いしたが、安田禎仁記者、志磨秀人記者、堀内隆司記者、高橋英樹記者と、若い記者の皆さんにも初めてお会いした。

せっかくの機会なので、田澤編集長に鎌倉大根の取り組みについて、取材の要請をしたところ、高橋記者の派遣を決めていただいた。






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24日は、8月に福来鳥の20周年パーティーで、鎌倉大根の勉強会が行われたが、その時にはじめて参加され、「鎌倉だいこん未来研究クラブ」のメンバーになられた、NPO湘南スタイル、アグリビジネスコーディネーターの井出朋子さんが車を出していただくことになり、

在日インド商工協会の大場多美子さんは、インドに日本の文化を伝える広報誌に、「鎌倉大根」の取り組みを掲載したいというので、鎌倉野菜を栽培している関谷地区の農家・山森金雄さんの畑を撮影することになっていた。

そこで、高橋記者に来てもらったもの。

上の画像をクリックする。
山森さんのお宅に伺ってから、車で少し離れた畑に案内されたが、高台には連坦した畑が広がり、鎌倉野菜が栽培されていた。

山森さんが間引きした鎌倉大根。
インドの広報誌用写真を撮影に来た、写真サポーターズの鈴木まさ美代表(写真右)






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右から山森さん、井出さん、大場さん、畑でお会いした長田克己先生、農業共済新聞の高橋記者、福来鳥のさとうえだ女将。

上の画像をクリックする。
山森さんは、少量多品目栽培で100種類以上の野菜を年間栽培しているが、山森さんにお願いした鎌倉大根は、周りの大根に負けずに葉を伸ばしていた。

昨年、福来鳥の畑で栽培したものとは異なり、良く耕された山森さんの畑では、鎌倉大根は素直に根を伸ばしていた。
さすが山森さん。栽培をお願いしてよかった。

こんど「鎌倉だいこん未来研究クラブ」の皆さんにもこの様子を見ていただきたいものだ。






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上の画像をクリックする
山森さんのお宅では、明日、鎌倉市農協連即売所(一名レンバイ) のローテーションで販売する日のために、家族総出で荷造りにかかっていた。

レンバンでの販売は、規格にとらわれずに販売するが、消費者が好きなものを買えるシステムになっている。

今回、農業共済紙に、鎌倉大根の取り組みを紹介するということで高橋記者を紹介したが、山森さんに喜んでいただいた。
実は、明日26日号の同紙で、鎌倉野菜のレンバイのシステムを評価した記事を一面の「ズバリ直言」に書いたことをお伝えした。






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山森さんの畑・関谷からの帰り、井出さんに長谷の大仏方面から、由比ガ浜の自生地に向かってもらった。

由比ガ浜には、波の音と、穏やかな陽光がさしていたが少し肌寒かった。
そこには、鎌倉大根(浜大根) の若葉がたくさん芽生えていた。

上の画像をクリックする
高橋さんは、ここでもシャッターを切っていた。
尚、高橋記者は後日、農業共済新聞の一面トップに掲載してくれた。




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由比ガ浜からは、鎌倉駅近くのレンバイに向かった。

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すでに12時を回っていたので、ほとんどの野菜は売り切れていて、ガランとしていた。
立派な、男爵なども売っていたが、小さいジャガイモを一皿200円で売っていたので、2皿購入。

こんなのどこにも売っていないものだ。
「おいねのつるいも」のように小さくておいしそうだ。


午後からの、鎌倉市立御成中学と第二中学での栽培の様子は、後日に紹介する
posted by 大竹道茂 at 09:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 伝説の鎌倉大根
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